曇り空でときおり小雨がぱらつく変な天気。室温は午後5時近くで27℃ほど。
湿度が高く、動くと額に汗がにじむがエアコンをつけるほどではない。
今日は庭仕事はお休み。1本残っている紫陽花の大株の木を剪定したり、李や梅の徒長枝を切るなどやりたいことはいくつあるがなんとなく気がすすまない。
家にいて歌会の仲間に電話をしたり、歌集を読んだり、短歌を作ったりした。
読んでいる歌集は『前登志夫歌集』のなかの「縄文紀」という歌集。『前登志夫歌集』には歌人の代表的な歌集が3つと詩集がひとつおさめれている。『縄文紀』は昭和52年に発刊されたこの歌人の第3歌集。この歌集のあとがきに昭和46年から昭和52年までの588首を収めたとある。
「この集の作歌時期、私は山中の暮しの重たさからいくばくか解放され、たびたび都会へ出る機会も与えられた。」とあとがきに書いてあるが、都会の片りんもない歌が掲載されている。山中での暮らしがそのまま詠われているわけではないが、歌人にとって吉野の山奥に生きることが短歌を詠う原動力であったのだろう。
「この集の名に『縄文紀』を選んだもう一つの理由は、私達の日常に思いがけなく息づいてゐる、劫初の時間のみづみづしさを、この題名に私は感受するからである」
「歌は、鳥影のように私達の日常の襞を過ぎる、永遠なものの象徴であればよいと思ふ。」と前氏はあとがきに書く。
もう少しで『縄文紀』を読み終えるが、わからないところも多々、時間を置いてもう一度読んでみたい。
7月末が締め切りの季刊の短歌誌に送る8首がまだ決められず、早めに決めたいと思ったが困ったことだ。
最後はなるようになると思って、あせらずに。
歌会の仲間から電話があり、病気で退会し闘病中の歌友が亡くなったと知らせてくれた。武蔵小杉で開かれる歌会には昨年末ごろまでご主人の車で送り迎えをしてもらい、参加していた。遠く離れた街に住んでいたことを最近知った。
ご主人の車に乗りてはるばると歌会に来し人虹となりつ
今日はほんとうに変な天気で、わたしが外に出るとぱらぱら雨が降り始める。2回そういうことがあり、それほどの雨ではないのでそのまま歩いた。
玄関の戸を開けたるが合図のごと雨降りはじめ湿りて歩く