「至上の印象派展」を観に行く

 朝から雨が降り、ひんやりとした。ただ、雨の降り方はおだやかで外出したい気持ちをさまたげるほどではない。
 11時前に家を出て東京メトロ日比谷線六本木駅から歩いて新国立美術館をめざした。地下道を歩くので雨は気にならない。
 「市場の印象派展 ビュールレ・コレクション」はスイス人のコレクターが収集した印象派を中心にした主に絵画のコレクションを展示している。日本で初公開の作品が半数以上とのことだ。
 名前だけは知っているがあまり作品を見る機会がなかった画家の絵がいくつかあった。雨のためかほどよい混雑で、人気作品以外は好きなだけ近くで見ることができた。カミ―ユ・コロー、ウジェーヌ・ドラクロワエドゥワール・マネ、カミ―ユ・ピサロなどはこの展示会ではじめてじっくりと見ることができた。
 いちばん見応えがあったのはセザンヌゴッホの各7点の絵。ゴッホはオランダ時代に描いた絵(1884年)から最後の年(1890年)に描いた絵まで6年間の絵の変化を見ることができ、深い感銘を受けた。6年間で果たした劇的な絵の変化は目がうるむほど感動的だ。オランダで描いた使われていない教会や墓地の暗鬱な色彩、地味な筆致から1890年に描かれた「花咲くマロニエの枝」のはれやかな色彩と晩年に特徴的なゴッホの筆致。「花咲くマロニエの枝」は大好きなゴッホの絵のひとつになった。花の咲く木のひと枝を描くという発想に浮世絵の影響を感じた。
 セザンヌの絵も1870年ごろの作品から1904〜6年の作品までセザンヌの絵の変化がよくわかり、セザンヌがますます好きになった。やはり、晩年の絵が好きかな。
 ポール・ゴーギャンの「肘掛け椅子の上のひまわり」は見たかった絵で、見ることができてほんとうによかった。1901年の作品でゴッホと喧嘩別れをした後、ゴッホ自死に至り、ゴーギャンにはゴッホを偲ぶ思いもあったのだろうか。肘掛け椅子の上の籠に活けられた向日葵は抑えられた描き方でかえって見るものに訴えかける。
 ルノワールは「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」の絵の前に人だかりができていたがわたしは「夏の帽子」のほうが好きかも。ただ「可愛いイレーヌ」はナチスドイツに収奪され、戦後持ち主のもとに戻ったという歴史の証人でもあり、しみじみと鑑賞した。
 展示会の最後の部屋はクロード・モネの「睡蓮の池、緑の反映」の大作。モネの絵は「ジウェルニーのモネの庭」や「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」などじっくりと鑑賞した。わが家の庭や草花を水彩で描くとき参考になるかもと思ったが・・・・・。

昨日描いたスナップエンドウの絵