午前中は庭仕事をいろいろ

 朝起きて自室から広縁を通って居間へと移動するとき、晩年の柴犬レオの泣き声が耳に響くように思い出した。「鳴く」というより「泣く」がぴったりの声だった。レオを抱き抱えてソファに座りあやしていると泣き止んだが、床に下ろすとまた泣き始めた。その声が今朝は耳にこびりついて離れない。
 今日、3月11日は東日本大震災に起った日で、激しい揺れが始まったとき、わたしはひとりで外に出てしまった。庭に面した硝子戸のそばで小刻みに激しく身体が揺れているレオを靴のまま部屋に上がり抱いて外に出た。レオを抱いて立っているのは難しかった。あの時どうしただろうか。レオを地面に下ろしたのか。それともなんとか踏ん張って抱いていたのか。
 レオの泣き声を思い出したのは地震の日を忘れないで、僕がいたことを、というレオからのメッセージだろうか。
 午前中、弟が突然やってきた。車を買うそうでそのための手続きにきたようだ。
 弟が帰った後、庭に出るといろいろやらなければいけないことがあると気づいた。柿の木の横に掘った穴には柿落葉が山盛りになっている。柿落葉はそのまわりにもまだたくさん散らばっている。箒で落葉を掃いて穴の上にさらに積み上げた。
 抜いた枯れ木が地面に放り出されているのも気になり、鋸で短く切ってゴミ袋に入れた。そういえば家の裏手に木槿やスモモの剪定枝がそのままになっているのを思い出した。ゴミ袋を持って行き、木槿の枝は手で折ってゴミ袋に入れた。手で折る作業がかなり力を使うので、ぜんぶやり終えないうちに疲れた。
 その他にもいくつかの庭仕事を同時並行的にすすめ、どれも最後までできないままに疲れて家に戻った。
 午後はもう庭に出る元気がなく、なにをしただろう。インターネットで買い物をしたかったがパスワードを打ち込んでも撥ねられてしまった。月曜日に問い合わせてみたい。

 声張り上げ泣く老犬を膝にのせあやしやりし日ふと思い出づ

 泣く訳を問ふこともできず膝にのせあやしやるだけのわれの無力