昨日は武蔵小杉の歌会に行った

 大雪の翌日は火曜日で午前中は近くの特別支援学校に足を運んだ。
 校内にある授業の一環として開いているカフェで珈琲を味わった。喫茶班の授業は2年生と3年生が参加し、三年生は今月いっぱいでカフェでの授業を終える。2月は事務班といって校内で使うチラシやパンフレットなどを製作する授業に参加する。生徒たちは喫茶班と事務班の授業をひと月交代で受けるのである。
 特別支援学校のカフェで生徒たちと顔見知りになるが、いつのまにか2年の歳月が過ぎ、学校を飛び立って行く。このカフェに来るとこの繰り返しを身をもって感じることができる。
 学校からお昼前に急いで家に帰り、大急ぎででかけた。駅までの坂道は雪がきれいに取り除かれた所とまだ残っている所があり、残っている所は滑りやすくいつもより時間がかかった。駅前で軽くパンを食べて電車に乗ったが初めて歌会に遅刻した。メールで遅れることを知らせはしたが。
 歌会に出したわたしの歌は誰にも選ばれなかったがそれほどがっかりはしない。というか今回の歌会のために詠まれた歌のすべてがかなり低調だったような気がする。わたしにとってこれ!という歌がなかった。
 一昨日家に電話をしてきた歌会仲間の女性と言い争いをした。彼女はわたしに詠草のまとめ役を肩代わりしてほしいのだがわたしが拒否したためだ。病院での検査に疑わしいものがあり、わたしに肩代わりを頼むべく電話をしたのだが検査の結果を大げさに受け止め過ぎていたようだ。「疑いを「確定」に感じたようだ。
 言い争いのなかでむき出しの本音のことばが投げられ、深く傷ついた。
 歌会を終え夕食のための買い物をいっぱいして家路についた。夕暮れの茜色に染まった雲がきれいだ。しみじみと眺めた。きれいなものを見ているとこころのもやもやが吸い込まれてて行くような気がした。
 家に帰りいただきもののワインを飲み、夕食を終えた頃、携帯に友からのメールがあることに気がついた。慌てて返信した。
 実は今日(水曜)会うことになっていたのだがショートステイを利用する予定だった母親が大雪の影響でキャンセルすることになり、会えなくなったとのメールだった。会う日を来週に延期した。母親は妄想をともなう認知症が進行して友だちは大きなストレスを抱え、疲れを訴えた。わたしも父の介護を体験しているので友の話に耳を傾け、ときどき感じたことを話した。父の介護で実感したさまざまなことも話した。
 友と電話で話しながら、いくぶんか歌会での言い争いの後味が薄れてゆくように思えた。


 今日は昨夜遅めに眠ったので起きたのはいつもより1時間くらいおそかった。雨戸を開けると青空がもうひろがっていた。いつもは雨戸を開けてもまだ外は暗いことが多い。
 エアコンを入れた居間で、歌会に寄せてきたみなさんの歌をパソコンで打ちこむ仕事をした。ワードを使いいつも文章を入力していたが文字数や行間、余白などの設定はしたことがないのでめちゃめちゃ大変。
 結局、次回の歌会の詠草をまとめる仕事を引き受けたのは女性の再検査の結果がまだ出ていないのでそれまではと思ったからだ。
 今その女性と電話をしていろいろ話しているうちにこころのわだかまりがほどけていった。わたしに一昨日電話をしたとき本人は悪性腫瘍になったと思いこんでいたのだが医師の対応を聞くとそう思うのも仕方ないと思えた。現在は検査の結果を見ないとわからないにしても、違う病気らしいことがわかり、気持ち的にも落ち着いているようだ。

長き年経てゆるやかな坂と知る駅前の三本の並木道を 

おさまらぬ怒りを胸にたそがれの色うつろふ雲を眺める

怒りには哀しみまじり昏みゆく夕ぐれの空に心とけこます

人と人とのすれちがひに心痛みて白葡萄酒を胃の腑にしませる