多摩川の花火大会が中止に

 朝から蒸し暑く、陽射しは出るがすっきりとした晴天ではなかった。東京をはじめとした関東地方に激しい雷雨の予報が出てたので、午後になるといつ雨が降るか戦々恐々としていた。
 とはいっても陽射しに背中を押され、3畳の大きさのラグを洗濯した。二回も洗濯機を使った。それらの洗濯物は無事に乾燥し終えた夕ぐれ頃、天気が急変した。
 台所に立って夕食の準備をしていたので空は見ていないが、遠雷がだんだん近づいてくる。多摩川の花火大会が夜7時から始まるので、最初は空砲を打ち上げているのかを思ったが近づいてくるにつれて雷だとわかった。遠雷と思っていたのがとつぜん鋭い音が破裂し、それから早かった。
 たたきつけるような雨、木々を激しく揺らす風。雨どいから雨水があふれだし、そのあふれ落ちる水を風が煽り、生き物みたいにくねった。ぞっとするような光景だった。庭は水浸しになり、このままでは家は水没するかと恐れた。
 テレビをつけると多摩川の河原で開かれる花火大会の会場の様子が映し出され、傘など役に立たない風雨に逃げ惑う人たちがいた。川にかかる橋の上から雨水が束になって落ちてきた。花火は中止となった。
 長くはなかった。外が静かになったので窓を少し開けてのぞくと風も雨もおさまっていた。裏庭の秋海棠が地に臥すように倒れているが庭木はなんともないようだ。
 午後は今夜開かれる花火大会のことを時々考え過ごした。老犬ももこがいたときの夏。ももこは1年五ヶ月しかこの家にいなかったが、夏は2回いたのである。2015年の花火大会の日は花火を見に行ったかどうかは覚えていないが、ももこが商店街の歩道を歩いている浴衣姿の幼女のすそに近づいて匂いを嗅いでいたのを覚えている。ももこは小さな女の子が好きなのである、きっとももこが好きな匂いがするのだろう。
 昨年の花火大会の日はももこが他界する10日前だった。そんなももこを玄関を上がった所に横たわらせたまま、わたしは花火を見に行ったのである。もちろん、ゆっくり見物はしなかった。20分くらいで帰ってきたがももこを置いて行ったことを今は悔いている。
 今年の花火大会が中止になり、わたしは助かったような気持ちになる。行くか行かないか迷わずにすんだから。花火が上がる音がすれば見に行きたいと思うだろうが,見に行くと昨年のももこを思い出し辛くなるにちがいない。中止になり、あと1年の猶予をもらったような気持ちである。


 この夏を再会したる朝顔は濃きむらさきのまなこ見開く
 
 朝顔の花柄を手のひらにまるめて羽根のすりあふ音を聞きたり

 パッションフルーツに閉じこめられし三宅島の海のゆうぐれの色

 首振る風のにぶき音にまどろみて坂の向かふに黒き河見る

 窓辺に干したる大き洗濯もの厚き壁になり視界さへぎる

 色あせる羽根の黒揚羽 飛翔あやふきをわが目が追ふ

 くりやにて鯵の小骨を取りつつも遠雷にわが胸乱される

 多摩川の花火大会ある夕べ雷の音近づく街

 遠雷と思いたるに思ひがけず鋭き破裂音に手をとめる

 鋭く葉を打ち樹々をよぢらせ暴力的に雨降り風吹く

 雨どいより雨水の生きもののごとく風にくねり落ち地をたたく

 騒乱のいっとき過ぎれば静かな庭に地に臥す秋海棠

 

 

濃い紫色の朝顔がひとつ咲いたのをきれいだなと見ながら撮るタイミングを逃した
朝顔は朝早いうちがいちばんきれい