昨日の夜のことだが、夕食を終えた頃、外から何かが炸裂する音が聞こえた。空耳かと一瞬思ったがなんどもなんども聞こえるので花火に違いないと思った。
花火と思うと突然、二子玉川で例年おこなわれる花火大会が思い出され(秋に開催される)、そうか、今日は花火大会の日なんだと思った。
急いで身支度をして外に行くと、花火大会の雰囲気はまったくなく、閑散としている。花火の音は続くがどこにも見えない.いや、短い間、二子玉川とは逆の方向に屋根の上から花火の先っぽが見えた。
二子玉川の花火!と思って華やいだこころはしぼんだ。多摩川の土手の方向にいつもよりやや人が多い(と言っても数えられるほど)。そちらの方向に歩く間に花火の音は途絶えた。
多摩川の河原に向かうわたしと戻ってくる小さな集団とすれ違い、わたしは河原へ。対岸の高層ビル群はきらめいているがほかは暗い河原が広がるだけ。幻の花火大会だった。
なんでわたしは花火の音で花火大会が開かれると思ったのだろうか。コロナ禍で花火大会ことなど話す人もなく、ありえない世界なのに。コロナウィルスと全世界が闘っていることを一瞬だが、あの花火の音は忘れさせた。コロナウィルスのなかった昔の日常へわたしを戻した。あの時、花火の音で昔の花火大会、真っ暗な河原におおぜいの人が座り、交通止めになった道路を浴衣を着てぞろぞろ歩いている光景を目に浮かべた。
あんなことが今のこの日本で起こるはずがないのだ。
もうしばらくはないだろう。昔の花火大会みたいなことは。いつかは戻ってくるのだろうか。
今日、月曜は昨日と打って変わって、今日は朝は陽ざしが出たがほとんどの時間、曇っていてどんよりとした空模様。
午前中早めの時間に庭に出て、いたるところに目につく伸び放題の草をむしり取った。特にスモモの木の周辺を。姫りんごの木の枝が伸びていて気になるので、高枝鋏で切り、切れないほど太い枝は脚立に上ってノコギリで切った。
見回すと他にも伸びすぎて気になる枝がいっぱいだ。スモモや梅が特に気になる。金柑の木の枝も切った方がよさそうだ。
久しぶりの庭仕事にやや疲れを感じた。
居間の掘り炬燵に入って、明日の歌会に持っていく3首の短歌を考え、月末締め切りの10首を推敲しようとしたがうまくいかない。
昼食後は炬燵の横で昼寝をして、目が覚めてからブログを書いている。