日曜の午前中、たまっていた庭仕事を一気に片付けようと全身汗みずくになってがんばった。昨日はその元気があったからそうしたのだがそのつけが今日さっそく回ってきた。
朝起きるとなんやら腰が痛い。起きたばかりで身体が冷えていて痛いのかと思ったが、起きてしばらくしても痛みは退いて行かない。
昨日、苗の植え付け、落ちたすももやももを拾い集めたりと腰をかがめる作業を続けたことを思い出し、そのためと思い至った。
さっそく冷感湿布を張ってようすをみることにした。午前中とお昼までは歩くのもひと苦労。腰を真っすぐ立てて歩けなかったが午後の時間がすすむにつれて痛みがやわらいできた。
湿布を張って植木鉢に水やりしたり、陽のあたるところに鉢を移動したりはしたがそれ以外は家のなかでじっとしていた。明日の短歌会ではじめて司会を務めることになり、みなさんから送られてきた短歌を読みこみたいと思ったのでその時間にあてた。
図書館から借りてきた本も読んだ。シリーズ牧水賞の歌人『河野裕子』や永田和宏の歌集『後の日々』など。西行について河野裕子さんが書いている短文は興味深く読ませていただいた。
午後遅くなってからこの夏はじめてエアコンを使った。室温が30℃を越したので。老犬ももこがいるときは室温が28度を越したらエアコンを使っていたかもしれない。いや、ももこの様子を見てもっと温度が低い時でもエアコンをいれたかもしれない。
暑すぎるのもからだに負担だが冷え過ぎるのも好きでなく、自分の身体の調子と相談しつつエアコンを使いたい。こうやっていろいろなことが変わっていくさみしさ。同じ部屋にももこがいた昨年の夏がなつかしい。病気のももことともに生きていた。ももこの苦しみを見ながらできるかぎりのことをしたが結局なにもできなかったのと同じような気持ちになった。あのむなしさ。ことばを話さないももこをなんとかわかろうとした。こうすればきっとももこにとっていいのではないかと思うことをしたが、ほんとうはどうだったのか。永遠に答えが出ない問い。答えを持ったまま、ももこは旅立ってしまった。
昨日の苗植え付けで腰痛めかがんで歩く六十路のわれ
まとひつく蚊一匹を非情にも打ち敷物にしみつくりたり
鷺草の葉っぱ見守る白き花のつぼみ早く出でよと念じ
すたすたと歩くも腰がすこやかゆえ痛めてみればありがたさわかる
老犬のいない夏来てなにもかもひとり深まるひとりが寂しい
蝉の声いまだ聞こえず愛犬のいない家に鳴くな蝉