老犬ももこのためにワッフルを買ってきた

 明日、8月26日は昨年他界した老犬ももこの一周忌。少し前から何かしたいと思った。ささやかなことしかできないが。死んだ犬に好物のおやつを買うのは空しさが募るだけと思っているがそれでも、ももこを思い出すよすがになれば、と買いに行った。
 ももこがいた時よく行った店に車で行き、ももこに留守番を頼むときにあげた特別なおやつ、ワッフルを買った。個別包装したワッフルが10枚。わたしが外出するときこのワッフルをお皿に割って他のおやつといっしょにいれ、水の器と共にトレーにのせ、さらに段ボールにのせてももこが留守番する部屋に置いた。庭を望む広縁である。
 ももこは置くとすぐ近づいてきておやつを食べた。出かける前に半分くらい食べた。わたしは「ももこ(留守番)お願いね」と声をかけ玄関を出た。
 こんなふうにでかけたのはももこの腎臓病が悪化する前のことだ。5月初めに朝食に食べたものをぜんぶ吐き戻してからはおやつもあまり食べなくなった。わたしも買い物以外は外出することが少なくなったが月に一回の歌会には行った。それも遅く家を出て会場に着き、歌会を中座して早く帰宅した。
 エアコンを入れた部屋に置いたベッドにももこを寝かせ、歌会に行ったことを記憶している。かかりつけの獣医師に4〜5時かん同じ姿勢で寝ていると床ずれにならないかと聞いたことも覚えている。そのくらいの時間なら大丈夫と先生は言ったが床ずれだけの問題ではなかった。病んでいるももこを家にひとりで置いたまま歌会に行ったことをももこにすまないと思っている。歌会の会場にいても、ももこのことが気になってしかたなかった。そういうときはそばにいたほうがよかったのである。
 ももこがいなくなってから、おかしな話かもしれないが、死んだももことわたしの新しい関係がつくられてきた。現実の姿はなくなったが心の中にはいて、その心の中のももこはわたしに暮らしのなかにいるのである。新しい関係をつくったももこがいるのだが、今日ももこの好きなおやつを買ってきたらこの家にいたときのももこがありありと思い出され、信じられないほど悲しい思いをした。なつかしさも半端ではない。やはり、生きているももこが本当は好きだと思った。こころのなかにいるももこには悪いけれど。


 障子紙破れるさんを乾拭きす破りし犬の不在思ひつつ

 うっすらと障子の桟に積もりしはわがこころのほこりのごとし

 蝉も鳴かず鳥も鳴かずエアコンの室外機のみ音したるなり

 かしましとときに聴こゆる蝉声のとだへて引き潮のごとき静けさ

 ひとときを過ぎ蝉たちが鳴きはじむ庭の静けさとたたかふごとく

 掃き出しの窓から聴こへるみんみんぜみの七十デシベルかなし

 こんなにもおほき声で鳴けるのにひと夏のいのちなのか君は

 食べない犬にワッフルを買へば食べたしとわがかたはらに現れるやも

 留守番の犬にやりし特別のおやつ今日はわが家にありて