五月なのに東京は寒い

  朝の居間の室温が20℃を越えていたのに、お昼に近づくにつれ下がってきた。

  寒さを感じ、浴室の窓を開けていたのに気付き閉めた。

  それでも室温は18℃を示し、暖房がほしい寒さ。

  炬燵もガスストーブも仕舞ってしまい、エアコンは使えるがオンにはしていない。

  カーディガンを着て、ひざ掛けをかけてしのいでいる。電気ストーブを出す手もある。夕方になってさらに気温が下がったら納戸から出そうか。

 朝は雨が降ったが日中は止んでどんよりと曇っている。こんな日は柴犬レオや老犬ももこがとりわけ恋しくなる。犬の暖かいからだに触れたくなるし、そこにいるだけで気持ちがあたたかくなる。

 短歌を少し詠んで、インターネットで調べ物もした。

 新聞の切り抜きやいつか目を通したい書類、展示会のパンフレットなどさまざまなものを投げ込んでいる箱から、今年の4月発行の短歌誌に投稿した8首の短歌の初稿が出てきた。 

 「朝の街」というタイトルは最終稿と同じ。違うは最初の歌と、最後の2首だ。初稿時の最初の歌の出来の悪さにがくぜんとなった。もちろん、推敲して自分でも納得できる歌にして投稿したのだが、その時の状況ではひどいままに投稿することだってないとはいえない。

 

街角をBGMのテンポにて歩く人らをカフェより眺む  (初稿)

 

朝の街アンダンテよりやや早く歩く人らをカフェより眺む (最終稿の投稿歌)

 

 「BGMのテンポ」では急ぎ足で出勤する人たちの様子がまったく伝わらない。希薄なイメージのぼけた短歌になってしまう。人の歩く速さをどう表現するかインターネットで調べたことを思い出す。

 短歌をよくするためには粘り強く推敲することが時に必要と思った。

 

 テレビで東京の寒さは3月並みと報じている。今日の東京の感染者は5名。ゴールデンウィーク後の気のゆるみがそろそろ数字に現れそうでこわい。このウィルスは行動範囲が広く活発になるとてきめんにひろがりそう。ただ、いつまでも縮こまっているばかりではウィルスはひろがらなくても社会が成り立たなくなる。社会的な活動と感染の抑制を両立するには、検査の数を増やすことが必要という意見があるが同感である。

 

 速報が夏の甲子園が中止と伝えた。ええーっ!ここまで来たか。PCR検査まはた抗原検査を全員にしてできないものだろうか。関係者を含むとかなりの人数になるし、無理なのか。

 

柿若葉に隠れる小さき花見れば遠き歳月寄せては返す

 

老犬の寿命近づく五月末柿の小さき花あまた咲く

 

雪の下の地味なる花を綺麗だねと言いたる人も今では遠し

 

ストーブも炬燵も仕舞ひしわが家に冬の寒さがもどりて居座る

 

母の声寒い暑いと嘆きしをそばにいるごと思い出づる