短歌を作り、昼寝もした

 昨日は歌会があった。歌会のある日の夜は寝つきが悪くなる傾向が前にあったが昨夜もそんな感じ。寝入りそうになったが眠れず起きて居間に行き、パソコンを少しいじった。30分もしないうちに眠くなり眠ったが。
 そんなわけで今日はあまり活動的になれなかった。ほんとうは車でいつも行くところより遠い図書館に行きたかったが午後になり眠くなってしまったからだ。
 午前中は疲れは感じず短歌を作って過ごした。ある題詠を詠んだので今は6月だが「雪」の歌を詠んだ。過去のブログから雪が降った日をさがしてタイムトリップした。1月2月が多いが昨年は11月に東京は初雪が降った。雪が降った庭の写真がアップロードされているブログも多く、雪の日がありありとよみがえる。
 
(これは柴犬レオがいたとき、2012年の1月か2月)
 長靴の幼女凍れる雪割りつ道草楽しみ父困らせき

 (これは昨年11月の初雪)
 初雪をしのぎて陽のなか咲き続け花を揺らせる千日紅
  

 (2013年1月の雪)
 大雪の庭を見ながらストーブたく部屋でわれと犬ぬくもる
 半年後に死にたる犬をりてその日の東京は大雪なりき

 〈昨日詠んだ歌)
 雨女の花でありし鉄砲百合 今年は晴れを連れて来たる

 大株のあぢさゐの木にただ五つ夕空色の花咲きをり

 花終えて剪定の時期たがへればあぢさゐの花の数減りたり

 むらさきの泡のごとく湧きいづる紫陽花の花消へてしまへり

 見た夢はいつも昨夜(よべ)の夢にして今宵の夢は語ることできず


 昨日の歌会で出した歌二首のうち一首

いっぽんの雨傘買へば去年(こぞ)なくて今年あるものひとつ増えたり

 歌の評判はよくなく誰も選歌しなかったし、わたしが詠いたい思いはまったく伝わらなかった。「こんな題材でも歌になるのかと感心した」「高級な雨傘なら昨年にはない財産がひとつ増えたみたいな感じか」などの意見
 先生は「いっぽん」と「ひとつ」という数詞を並べて表現の効果を狙っているようだが甘いと。わたしはまったくその意図がなかったが数詞を二種使うという表現方法に目が開かれた。先生はどんな傘なのかと伝えた方がいいとおっしゃった。なるほど、確かにそうだ。
 この歌にこめたわたしの想いは傘の柄はあまり関係なのだが入れた方が歌に色合いが加わるかも。
 昨年8月までこの家にいた老犬ももこへの惜別の思いを詠った歌なのだ。昨年ももこがいた頃はこの家になかった傘が今年いっぽん増えた、ささやかな変化だがこうして時間は過ぎてゆくのだと思った。新たなものがわたしの暮らしの中に入ると不思議なことだがそれがなかった頃のことが強くこころに訴えてくる。その悲しさを詠った。

 先生の意見を取り入れさせていただき、こんなふうに

去年なくて今年あるものひとつ増へつ青き水玉の雨傘買へり

 さらに添削を重ねたい


こちらは昨年早めに剪定し、昨年と同じくらいの花が咲いている

南天の花
風に花がこぼれて流れてきてわたしのからだにあたり
花の存在に気がついた

アガパンサスの花が数輪開いた
この花を見ると柴犬レオを思い出す
明日6月15日はレオの命日でそのあたりに正確に時間をはかったように咲く