昨日は明治神宮歌会へ、今日は掘りごたつをしまう

 今日は朝から晴れて天気予報ではこれから暑い日が続くとのこと。朝早くから某国のミサイルが飛んだというニュースが流れる。
 朝起きる前に大きな魚を逃した夢を見た。男女何人か(私も含め)夢のなかにいてなにか談笑している。そこ何匹も魚を入れた大きな箱が現れ、わたしは話よりソットに気をとられ、魚を選んでいる。これはと思う魚のしっぽをつかんでとろうとするとその魚の頭を女性がつかんで持って行ってしまう。さっきまであんなにたくさんの魚があった箱のなかにはやせた小さな魚が一匹だけ残っている。ここで目が覚めた。これはと思うものはすぐ手に入れなさいと言う教訓を含んだ夢だろうか。女性が魚の頭をつかんだとき、これはわたしの魚よと主張する一瞬があったがそれをわたしはしなかった。相手を押しのけてもぐいと自分の側に引き寄せる力を持てと言う教訓もある。
 逃した魚は逃すべくあったという教訓もあるかも。
 昨日は月に一回開かれる明治神宮の歌会があり、いつものようにでかけた。行きたいところにいつものようにでかけられる幸せをいまかみしめている。
 神宮の森は欅の紅葉した葉がすっかり落ちて新緑にかわっていた。この前訪れたときは欅の赤茶の落葉がさかんに落ちてきたようにおぼえている。
 昨日の当座は「揺れ・揺る」。講師は森晴美先生。72名が歌会に参加しそれぞれ1首を題詠するが72首の歌を講評するとき、この当座に対してどのような歌が歌われるかあるていど想定していたことを明かした。その想定通りの歌はたくさん詠まれ、先生の想定がいの歌も詠まれた。やはり、この当座からこんな歌が、という驚きのある歌は選歌されやすいようだ。もちろん、想定内の歌でもことばの選び方や表現が優れていれば選ばれる。
 わたしが出した歌は想定内の歌であり、表現的にもあまりよくなかった。いつも反省ばかりの歌会である。家に帰り疲れが出たのはこのこともあるのだろう。ただ、明治神宮、武蔵小杉、どちらの歌会の後も睡眠障害を起こした時期があったがここんところそれがなく、こころもからだもらくになった。歌を詠んで眠れなくなったら、これはこれはわたしにとっては大事。

 日が暮れて庭隅に咲くご手毬の白が揺れをり慰撫するごとく

 先生は詠っている内容を正確に読み取ってくださったが「慰撫するごとく」がやや唐突であると講評された。4句切れの歌を読む場合最後の5句目でまとめることなく飛躍したいというのがわたしが今目指していることのひとつなのだが、それがうまくいかなかったのかとがっかり。飛躍したいという気持ちそのものをやめるべきか、いややめないでおこう。いろいろな歌人の歌を参考にしながら試みは続けたい。

 こんな歌も詠んでみた。

 わが犬を抱へて立てり揺れる庭揺れる樹々を忘れることなし

 木漏れ日の揺れる廊下に座布団が誰か待つかに敷かれていたり

 
 今日は午後から掘り炬燵をしまった。先々週あたりからいつしまおうかと思いつつ、いろいろあって先延ばしにしてきたが今日の暑さとこの暑さがこれからも続くとの予報なのでしまった。掘り炬燵のない居間は老犬ももこが腎臓病末期と闘った去年の夏とほとんど同じになり、昨夏が近づいてきたような気になる。ももこがいないことだけが違う部屋。思い出すのが辛いのでせめてセンターラグだけでも変えようかと思ったが買いに行く時間がなく、去年のまま。このラグの上に粗相を何回かして、丸ごと洗濯機で洗ったのを思い出す。
 午前中と陽射しが弱まってきた夕方は庭に出て、オオムラサキツツジの剪定をした。あと少しで終わるが疲れたので明日に回すことに。今日剪定したのは5〜6本のオオムラサキツツジを並べて植えて大刈込風に仕立てあるので剪定が大変である。

 
 ふれたいと伸ばす指先空しくも空(くう)があるだけ紫陽花の空(そら)

 空の井戸たっぷり水をたくわへて地に還る日を待ち望みたり

 海老のごとくからだしならす島国がもうすぐ雨にひたひた包まる

 花好きのわれに花模様の雨傘贈りくれし人いまははるかなり

 ふくろうの模様の雨傘娘より贈られ友はうれしそうなり

 雨上がり雨傘を干す朝 老犬がおりしあの日も同じようにしき

 米国のIBCM迎撃実験じわじわと脅威の水位あがる

 手につかむ一匹の魚逃がしたり逃がした魚は夢のなかにいる

 

もともとは赤花のほたるぶくろしかなかったのに、いつのまにか白い花が咲くように
この庭ではほたるぶくろはドクダミや雪ノ下に押され気味なので、保護して増やすようにしている

フェアリーという名のミニバラ
愛らしい名前に似合わず性格が強く育てやすい
匂いのない薔薇