昨日より確実にあたたかくなった。わたしの体調も確実に良くなったような気がする。
とはいっても日曜に外出するのは好きでないので家にいた。人ごみのなかが苦手である。
明治神宮献詠会の3月の兼題「門」の歌を一首葉書に書いて投かんした。2月半ばころからあれこれと試行錯誤していた題詠の歌をこれでとりあえずぜんぶ出すことができ、すっきりとした。また次があるけれどそれはそのときのことにして、いまは気持ちをおおらかに持ちたい。
あたたかいので庭仕事を少し。ほんの少しだ。一本だけ残っている南天の木(鉢植えだが大きくなったもの)を剪定した。柿の木と梅の木の近くに掘った枯葉を入れる穴に土をかぶせた。これは年中行事みたいなもので、毎年この時期にしている作業である。もう春だと感じたときにしている。
昨年はいつ頃したのだろう。晩秋に穴を掘り、早春に穴を埋める。この繰り返しは多分父が死んで柴犬レオとこの家で二人っきりになった頃からやっていると思う。
桃の木の下に植えっぱなしになっている青紫色のクロッカスがほぼ満開になった。この色のクロッカスの球根は10数年前に植えたものが少しづつ増えてきた。父母がいた頃、レオがいた頃からの花である。野性化しているといってもいいくらいだが花はどこか儚いところがあり、あんなに元気だったのに翌年ぱたっと咲かなくなることがある。そういう花がこの庭や花壇に数多くあったので、毎年咲くことは僥倖に近い。
今日もまた歌を詠んだ。鉛筆描きの絵のように。
覚めて後きのふより朝がなめらかに動き出しわれながら驚く
ブロッコリー、トマトキュウリ、朝のサラダ作りつつ犬のこと思ひて
俎板の包丁が滑り落ちわれのほうへと刃向けたり
犬は人になれぬものを そのことが哀しくてならぬ
二匹の犬ともなふ女東に行き一匹の男北へ去りゆく
葉が暗き椿の木にし赤と白、赤白の花咲き分けをり
桃の木に身づくろひする四十雀三回会へば知人のごとし
鵯が梅の幹に黒き目の横顔見せて同化するごと
なにがなし庭に来る鳥たちがなつかしい人に見ゆる日なり
庭隅に掘りし枯れ葉をためる穴土をかぶせて冬にふたをす
千両を沈丁花に替へる朝 犬の供華も春になりぬ
ぼちぼちと花が咲き始めた花壇
このくらいの花の感じがいちばん好き
この辺で時間を止めることができたらと思うが
時間は止まらないからいいのかも