朝の冷え込みはないが日中は昨日より陽射しが弱い。厚いコートは必要ないがコートなしだと寒い。
今日も朝の散歩とお昼前の買い物以外は家の中で過ごした。庭仕事もしなかった。
引き続き歌集を読み、歌を詠んだ。からだの調子はいまいちですっきりとしない。やりたい庭仕事、観に行きたい展示会などいくつかあるのだが。
短歌会に送る歌がこれというのがなくて決まらないのも気持ちを落ち着かなくさせている。昨年だったらかなりいい加減にこれでいいやという感じで歌を送っていた。老犬ももこがいた頃はそんなに歌に時間を使えないからその時出来た歌を自動的に送っていた。あの頃がなつかしい。ももこがいなくなってから詠む歌の数が多くなり、いつも数首の候補から選んで出すようになった。
選ぶということは思いのほか疲れる作業なのである。
今日詠んだ歌は次のように。絵で言えばラフな鉛筆描きの感じで。
水ゆるむ町川の岸に魚とりの網ななめに立てかけてあり
別の視点で詠むと・・・・
陽のあたる街川の岸に魚とりの網が頭を上にもたれてをり
障子戸をしめ庭眺むることなくこもれば目を閉じているごとし
掃き出しの窓はスクリーンのやうなり庭を行き交ふ鳥を映して
犬のいない一秒一秒が過ぎてゆく遠ざかるものあまたある春
雪見の障子が落ちる音に犬は目を見開けりさきおととしに
房咲きの水仙が風にゆるるを街川の岸辺に見つけたり
若き日のわが柴犬が写真のなか笑ひてをりぬ多摩川の草野
くったくのないその笑顔わが犬は幸せでありきと遠い日に思ふ
手のひらをラナンキュラスにあてがへば春ごとの花のさみしさありて
水のしたたる四十雀が桃の枝にひっつひて水を飛ばしてをりぬ
わが庭に根を生やしたる目高の甕で水浴びするかと猜疑心
奥庭に植えたオカメ桜の花が咲いている
柴犬レオがいた2012年の今頃植えて5年目になる
わたしの肩の高さもなかった樹が今は一階の軒を超えるほどになった
この樹を見るとレオのことを思い出す
レオは樹を植えてから1年と3か月ほどこの家にいた
オカメ桜は名は体をあらわして(?)下向きに咲く
どちらかというと地味な花だがこの花でよかったと思っている
晩年のレオとの思い出にふさわしい花と思う