日中は5月の気温、スモモの木を剪定

 早朝4時半ごろ目覚め夢うつつのなかで太鼓をたたいているような音がした。しっかりと覚めれば激しい雨音だった。その音はしばらく続いたがいつしか静かになった。
 そのまま起きていてテレビを寝床で見ながら6時過ぎまで過ごした。テレビ体操は昨日今日と2日続けて。
 10時半ごろ家を出ようとしたら携帯に電話があり少し話した。電話を切り近くの特別支援学校へ。
 作業実習のひとつとして校内で開くカフェに行き、いつものように珈琲を楽しんだ。友だちのひとりの父方の実家が隠岐の島で、流刑された後醍醐天皇の話をしていると生徒のひとりが話しに加わった。歴史が好きだとのこと。彼は3年生なのであと10日ほどしか学校にいない。もう少し早く歴史好きがわかっていればもっと話がいろいろできたのに。
 家に帰り、庭でスモモの木の伸びすぎた枝を剪定した。高くなった太陽の光が目に入りまぶしいので午後に剪定した方がいいと思いすぐ切り上げた。
 昼食後、短歌をいくつか作り、陽が傾き加減になった頃庭に出て剪定の続きをした。スモモの木は2本植えられていて、間に桃の木が1本植わっているが昨年枯れてしまった。枯れた桃の木の枝がスモモの枝にからまっているので、脚立に上って桃の木の太い幹の中途からノコギリで切り落とした。伐る時、この木がまだ元気な頃、枝を駐車場の方まで伸ばし、花を咲かせ実をいくつもつけたことを思い出した。柴犬レオがいた頃の思い出も切り落としたような寂しさが過ぎった。
 その思い出にひたることなく、切った桃の幹から何本もの太い枝を切り落とし、庭の隅にころがした。
 脚立を上ってスモモの枝を何本も切る。枝の向きによって脚立を移動させなければならずちょっと面倒。ぜんぶは切り終えることができなかったが脚立の移動が大変なので切り上げた。切り落としたスモモの枝の先には白い小さな小さなつぼみがついているものもあり、枝の何本かを器に活けた。まだつぼみの乙女椿の枝と昨年に切りまだ元気は千両を組み合わせた。花も葉もないスモモの枝と緑の葉とつぼみの椿、千両の赤い実。花がまだ咲かないが蕾がふくらんでいる、この時季にふさわしい花活けとなった。

叔父の死に始まる年も春が来て昨年(きぞ)の続きの梅の花咲く

桃の木の下のひとところクロッカスの青紫の光あふれつ