寒い日曜日のんびりとした

 朝は庭に置いてある二つの水瓶(目高がいる)に薄氷が張っていた。ひとつはよく氷が張るがもうひとつは気温がよほど下がったときだけ凍る。昨夜から朝にかけて厳しい寒さだったにちがいない。
 だが庭に植えた実のなる白梅はほころびかけているつぼみが二つ三つ見えて、日中の陽射しがあたたかいことがわかる。今日も陽射しが降りそそぎ、庭に面した広縁や外廊下はお昼近くになるとエアコンを入れた居間より暖かくなった。太陽のぬくみを生かすために居間のエアコンを切って障子を開け、広縁の温まった空気を入れた。
 火曜日の歌会のために選歌したり、図書館から借りてきた本を読んだ。歌も毎日のことだがいくつか作った。
 朝の散歩で柴犬レオとも仲がよかった柴犬の女の子<老犬)の話がでた。食べたものを全部吐き戻してしまい、現在は流動食を食べているが獣医師からは数日の命と言われたそうだ。この話を聞いて、わが老犬ももこのことを思った。ももこも朝食べたものをぜんぶ吐いてしまい、それから闘病生活が三か月半続いた。闘病生活の最初のころはまだ食欲があってスープでどろどろにした腎臓病の療法食のドライフードや野菜、缶詰などを食べたし、外に出て歩こうとした。体力も気力も衰え立ち上がる事がだんだんできなくなっても手を貸して立たせてあげれば歩こうとした時期もあった。そういうももこを思い出し辛くなったが、思い出すことはももこのためにはいいことかもしれない。なかったことのようにして思い出さないようにするより、ももこが生きていたその姿をそのがんばりをその苦しんだ様さえ思い出してあげたい。そこにももこがいるのだから。そのときわたしはずっとそばにいたのだから。誰にもできないことだ、そういうももこを思い出すことは。わたしにしかできない。


 植木屋のたち切りし梅の枝地の上よりすくひ上げ切り花とす

 切られし梅の枝を愛おしむわれもときには殺す人となる

 月光の奥深く入る部屋で父は賀状書きし八十八まで

 月光の奥深く入りわれをからめ月の世界に伴ひ行くや

 恐竜の帯のやうな庭に白梅の木が連なり太古へいざなふ

 何の意味もあらねど犬の死にし日近くの新聞を捨てずにをり

 眩しすぎてごめんなさいと言いながら太陽がのぼる雨上がりの朝

 わが犬も春の光のまぶしさに目を細めており写真のなかで

 マリンブルーのフリースのわれの代わりに吊るされて風に吹かれぬ

 カットした髪のやうな白梅の木これから花が咲くというのに