久しぶりにたくさん泣いた

 きっかけはささいなこと。老犬ももこが闘病している時、居間にベッドを置いて昼間は横になっていたがその場所に花を飾り、何枚かの写真とぬぐるみなどが置いてある。花瓶の水を替えて持ってきたとき、紅梅の枝がわたしの服に引っかかって花びらが落ちた。ももこの写真にも降りかかったのだがそれを見て泣き出してしまった。
 ももこがまだ歩ける時、庭道に降りこぼれる紅梅の花びらが被毛にかかることもあったのではないかと思ったからだ。生きていればこの春も花びらが降りかかることがあったのに。二度とそういうことがないももこを悲しみ哀れに思った。
 いつものように犬友だちと散歩に行ったがわたしがこういう状態だからだろうか、友だちとの間になにか齟齬が生まれたような気になった。これは時間がたちわたしが立ち直ればたいしたことではないかもしれない。
 散歩の後お墓参りに行き、家に帰ってきたら植木屋が庭でもう仕事にとりかかっていた。今日は道路に面した所に植わっているサワラの木を剪定する。二人がかりで半日かかる。常緑の葉をうっそうとしたままにするとカラスが巣を作るし、陽のあたらない陰の葉が赤茶に枯れて一年中落ちてくる。とても厄介な木でもある。父母がまだいた頃、赤茶色の枯葉をいつも掃除していたことを思い出す。父はあまりまめに植木屋に頼むことをしなかったから。
 ちょうどお昼頃にサワラの剪定が終わり、すぐ請求書が渡され即金でお支払いした。
 午後もなぜかももこを思い出し泣くことが多かった。ももこのことをそんなにすぐ忘れたらかえってかわいそうだからこれはいいことなのかもしれない。気持ちを切り替えて未来志向で生きようなんて何も知らない第三者、ときには友だちもすすめることがあるが未来なんてそんなにいいものだろうか。それより現在と過去を大切に生き、その結果の未来があればいいではないか。


 犬の遺影にこぼれ落ちる紅梅の花びらふいに涙あふるる

 何も言わぬ写真が何でも言ひくれるやうな如月の朝に涙す

 愛犬の写真見て泣いたと言へばスルーされ無風の青空ひろがる

 友人と三十分ほど歩くにその顔いちども見ぬと気づけり

 わが毛嫌いせる大統領と首相 馬があふとテレビで知りつ

 犬猫の殺処分ゼロの公約小池都知事よ、しかと忘れるな

 生きていれば君の肩に散るはずの紅梅の花散ってゆきたり

 骨壺が二つ並べりいつしかに守り神のごとわが目に映る

 生きものはわれだけの家生きしこと静かに響かす犬の骨たち


次の庭で咲く花はこの沈丁花と実のなる梅の花
哀しいほどたくさんのつぼみをつけている
木はいつも花をせいいっぱい咲かせる
そのせいいっぱいさがときどき哀しく思える
純粋過ぎて
人間だったら力を加減して出したり、周りの顔色をうかがって行動したり
ややこしくて鬱陶しいのが人間
そんな人間にもときにはかわいいところがあるのだが