チェリーセージが咲いた

この庭で14〜5年咲き継いでいるチェリーセージ
近所の花屋さんから売れ残りをもらい、鉢植えで育ててきた
毎年同じ時期に咲くので、過ぎ越した月日に思いが羽ばたく

赤い露秋の空からこぼれ来てチェリーセージの季節となりぬ


 朝はいつものように老犬ももこの友だち犬とその飼い主さんと散歩した。今日はいつもより足を伸ばし、ももこと一度だけ歩いた大学の敷地内にある遊歩道を歩き抜けて家方向にUターンするコース。多分昨年の秋だと思うがももこの足の調子がいい日があり、今日と同じメンバーで歩いた。
 飼い主さんと話しながら歩いたので感慨にひたるひまがなかったが別れた後、ももこがいっしょに歩いている気持ちになり心の中で話しかけた。またいっしょに歩けてよかったね、お母さんもうれしい。
 お昼前に庭に出て、金木犀の剪定をした。脚立に上り、細めの枝は植え木鋏で、太い枝は鋸を使って切った。木の天辺の枝は一部、高枝鋏を使ったところもある。毎年この時期に剪定するので要領がわかってきたのか、そんなに大変と思わなかった。
 11時半ころから1時頃まで剪定と切った枝の後始末をして、そのあとは一回買い物に出た以外は夕方までずっと家にいて、短歌を作っていた。思うように短歌が詠めない。もどかしく苛立ちもあるが、そんなにうまく歌を作ろうとすることはないと自分に言い聞かせた。うまく詠むことより、詠みたいことを詠むことが大切。へたでも後で自分の短歌を読んで、こういう風に感じていた、こういう時間を過ごしていたと思えればそれがいちばんいいことである。
 ももこがいた頃、もっとももこの日常を短歌に残しておけばよかったと思う。うまく詠もうとしなくてもよかった。単なることばの羅列でも、そこにあの時のももこがいればそれがわたしにとって最高の歌なのである。


 実のなる樹あまた植えたるホスピスで一年(ひととせ)過ごし友は逝きたり

 林抜け波高き浜に出でたればブラウン管のテレビ鎮座す

 打ち寄せる高き波音聞きながらブラウン管のテレビしづかなり

 向かいあい座るということ少なくて友と会う日は特別な一日

 波音がひびく畑で落花生掘り起こしたる女ほほえみき

 赤色のチェリーセージの花すがた深まる秋の花火に似たり

 いちどだけ歩いた道を死して後歩いてみたり君いなくても