昨日は明治神宮歌会へ

 新緑がきれいな季節。日に日に庭の木々の緑が大きく濃くなるのを見ていると老犬ももこがいないことが深くこころにしみてくる。
 昨日の日曜は月にほぼ一回開かれる明治神宮の歌会の日。いつもの時間に家を出て,樟の若葉がきれいな明治神宮参道を歩いて会場となる社務所に向かった。
 今日の歌会の講師は松坂弘先生。当座は「若葉」である。参道を歩きながらなんとなく「若葉」を予感していた。こういう勘は鋭いのだが歌はあまりぱっとしなかった。
 今年の7月で明治神宮の歌会に通うようになって4年になるがこの歳月によってどれほど短歌がうまくなったかは自信がない。あきらめずに続けるしか上達の道はないと思う。

 若葉の当座で出した歌は少し前に庭の柿若葉を詠ったもの。

柿若葉緑の蝶のごとく卯月の夕べの庭に浮びぬ

先生は浮びぬの「ぬ」が重すぎるとご指摘。「夕べの庭に浮かべり」または「夕べの庭にし浮かぶ」と直された。「庭にし」の「し」は意味を持たない助動詞。先生が直されたところを生かして次のようにしてみた。

柿若葉みどりの蝶の如く卯月の夕べの空にし浮かぶ

 他に作った歌は

 若葉の街 赤信号で止まりたり外つ国の人の自転車は

 家から駅前までの道で、赤信号になり自転車に乗った若い外国人の男性2人が止まったのを見て感心した。自転車に乗った日本人は赤信号になっても無視して行く人が多く歩行者の感覚に近い。交通ルールを守る外国人に成熟した社会人を感じた。
 今日の講師の方にいくつかのことを教えていただいた。短歌の第一句はなるべく5音ではじめること。3句切れの短歌は作りやすいが類型的になる傾向がある。3句で切るよりなるべく2句で切るようにしたほうがいい。4句切れの短歌は難しいがうまくいけばいい歌ができる。
 家に帰って歌集を開き、3句切れの歌、4句切れの歌、2句切れの歌をさがしてみた。3句切れの歌がまったくないわけではないし、必ずしもいい歌にならないわけではない事がわかった。ただ<実際に歌を詠むと3句切れの歌は詠みやすいことがわかる。
 歌を詠みながら3句切れになりやすいことがわかり、なんとかしようと思ったことがあった。歌を切らずに続けるなどして3句切の歌を自分で直そうとしたことがあった。
 今日は椿の剪定の続きをした。2本残っている樹高の高い椿の1本を剪定した。半分くらい終えて続きは明日か明後日か。朝はいつもの犬友だちと散歩しなかったが夕方いっしょに散歩した。友だちは検査を続けている。

 今日詠んだ歌は

 天気予報聞き思ひ出づ老ひし母の日々の寒暖なげきし声を
 
 若葉萌ゆる桃の枝透かし見ゆるちぎれ雲しみじみと見る