薄日さす秋の穂

 老犬ももこが他界して四十九日を先週迎えたが、そのことを知らない知人にあの犬はどうしたの?と聞かれ、そのたびに気持ちが揺れ動く。
 昨夕は二匹のジャックラッセルテリアを散歩させている若い奥さんに、「この前お会いした時よりだいぶ元気になりましたね」と言われた。元気になったのはわたしのことで、この前とはももこが闘病生活を送っていた7月か8月初め頃。「あのときはお母さんのほうがどうにかなるのではないかと思った。大丈夫だろうかと」。
 すごくやつれた様子に見えたそうだ。どんどん悪くなるももこを看病しながら肉体的にも精神的にも追いつめられていたのだろう。さらに「わんこはどうですか?」と聞かれ「死んだのです」と答えた。ももこの最後の方、看病するわたしはよゆうがなく、看病されるももこはそのことを敏感に感じ取ったに違いない。ももこにかわいそうなことをしたとしみじみ思った。精いっぱい看病したつもりだが、よゆうのなさがかえってもも子には辛かったのではないかと。
今日は午前中、駐車場横の植込みの下草を引き抜き、掃除をしているとチワワを連れて近所に住む人が通りかかった。このチワワは柴犬レオがこの世の最後に会った犬で、わたしになついていて、通りかかるたびに腰をかがめてなでてやる。尻尾を振って飛びかかってくる姿が愛らしい。
 この飼い主さんにも、ももこのことを聞かれた。あの犬はどうしたの?と。死んだことを伝えると驚いた様子。8月26日に他界したと言うと納得したようだった。その時期、ひと月ほどどこかにでかけていたそうだ。
 老犬ももこと散歩しながら、保護犬ももこが家に来た経緯などを多くの犬連れの人に話したおぼえがある。ももこが死んだことを知っているのはその人たちの一部なので、まだももこがこの世にいると思っている人は多いのである。


 梅の木の下に咲きたるシソの花 薄日さす秋の穂風に揺れて

 水際のベンチに座る老人よ秋の日受けて絵のごとくあり

 夏過ぎて疲れためたる庭の木々薄日のなかでしばしやすらう

 われと友とその犬とともに歩めばまぼろしの犬まなかいに立てり

 薄日さす廊下に死にし犬のベッド陽にあててやるも哀しく思ほゆ

 ただひと花返り咲きせるエキナセア夏の日を思い出せとばかりに

 犬の名にちなんで植えし桃色の花は最期の花咲かせおり