雨が降り続く東京

 昨日は彼岸の入りで、小雨が降る天気だった。これくらいならお墓参りに行けると思い、車で花屋さんに行き墓参用の花束と老犬ももこの花も買ってきた。
 家から歩いてすぐの菩提寺にはちらほらと墓参の家族が見られたが、まだ花がお供えされたお墓は少なかった。新しい花を供華しお線香をくゆらし手をあわせた。
 今日の東京は昨日より雨が強く降り続け、早めに墓参をすましてよかったと思った。午前中は近くの特別支援学校に足を運び、校門近くの出店でクッキーやパウンドケーキを買った。いつも買う校内の菜園で採れる野菜はまだ店に出ていないので後で買うことにした。
 先生の指導のもと生徒さんが喫茶店の仕事をする校内カフェで、ハーブティを注文しゆっくりと味わった。わたしのほかに二人お客さんがいたのでお彼岸のことなど話した。ひとりの方はわが家のことを知っていて、母が他界して何年くらいになるかとか父は母が亡くなった後どのくらいで亡くなったのかなど聞かれた。父母のことを話すのは久しぶりだなと思い話した。いや、母のことは近所に母の友人がいるので会うたびにお母さんが亡くなって何年になるかしらと聞かれるのでそんなに久しぶりではない。父のことを話すのは本当に久しぶりだ。
 こんなことがあって家に帰った。雨に降り閉じ込められたような部屋で少し前から愛読している大西民子さんの歌集を読んだ。「大西民子全歌集」といって生前出版された全歌集と歌人の没後編集された作品が収められている。
 そこに「煩悩の一つのごとし吊るされし塩鮭の絵を目が覚えゐて」(大西民子全歌集 光をたばねて)という歌があり、父のことを思い出し泣き出してしまった。
 母がいた最後のお正月、父は何を思ったか新巻鮭を一匹まるごと買い求め、台所の勝手口のそばにつるしていた。このことを思い出したのである。多分、家族三人で食べようと考えたのだと思うが、母は三が日を過ぎてすぐ体調を崩し、六日には救急車に運ばれ入院、その1週間後には
息を引き取った。そのつるした新巻鮭はほとんど食べるなく、しばらくたって傷みかけているのかどうかはわからないがわたしが処分したことを覚えている。父はその後はお正月になってもお正月らしいことは何一つせずに3年後に旅立った。
 あの吊るした塩鮭は父にとって今まで過ごしてきた何ごともないお正月に必要なものであり、母の死は父からそのお正月を奪ったのである。父にとって煩悩というより継続であり希望だったかもしれない。
 雨が降り外にあまり出られないためだろうか。今日は亡くなった老犬ももこのことを幾度も思い出した。こういう雨の日は外に行って誰かと話すことがなくても、ももこがいれば気持ちが満たされた。ももこの世話をしたり、ももこに話しかけたりしているだけで寂しさが紛れた。ときにはももことこの家に居ることから抜け出したくなり、外で気分転換の時間を持つこともあったがやはりももこはいつもそばにいてくれる大切な存在だった。そのももこがいなくなり、しみじみと寂しくなり何度も涙があふれてきた。ももこがいた頃の生活を思い出すと今の生活がいかに寂しものか胸にせまってくる。

もと宿なし犬のももこは家族になり一年半たらずみまかりしかな
老犬のおりし昨秋なつかしみ秋桜植えぬひとりの秋に
亡くなりて9年たつ母の写真ふれればぬくもりほのかあり
亡き母が買いしシャネル香水30年あまり封切らずあり