10月最後の日、短歌を詠んで過ごす

 朝はさわやか秋空がひろがる。気温は下がったが陽射しがあたたかく気持ちよかった。
 いつものように犬友だちとその愛犬の柴犬(老犬ももこの友だち犬)と短い散歩をした。ももこがいなくなり、朝の散歩や世話をする必要がなくなり、寂しく感じていたのでこのような時間を持てることがわたしにとって大きななぐさめになる。友だちとその愛犬に感謝したい。
 家に戻るとももこはいないのでどこか空虚である。昨日のように庭に出て庭仕事をする元気もない。炬燵に入ったまま横になるとつかの間だが眠ったようだ(ほんの数分くらい)。
 眠りから覚めると少し元気になった。図書館から借りている大西民子歌集「石の船」を読んだり、自分で歌を詠んだ。また、テーブルの上には短歌を詠むとき書き散らしたメモ用紙が何枚も重ねてあり、それらを読み返しながら歌にならなかったメモ書きに手を入れて歌を作った。時間を置いてメモを見ると違った視点が働き未完成だった歌がかたちになることもある。

 今日詠った歌は

 愛犬の病む苦しみを思い出せば死にたき思い湧きあがりたり

 覚め際の夢に家の前の道歩きたる犬の健やかな脚

 もと迷い犬のももこ死して後も迷わぬよう日々供養せり

 平成の団子坂を歩きたるに菊人形の明治は遠し

 最後の1首は夏目漱石の「三四郎」の一場面から発想した。いちど団子坂界隈の文学散歩をしたことがあり、そのとき感じたことも反映されている。

 夕方近くになり庭に出て昨日剪定した夾竹桃の枝を短く切って束ねた。蚊が飛んできたので蚊取り線香をたいた。そろそろ蚊取り線香のいらない季節になると思うが蚊はしつこく生きている。庭に出て身体を動かすと気持ちが落ち着いてきた、少し前は庭仕事しながら泣いていたのだが。家の前の道を歩く近所の人と話し、種を蒔いて育てた小苗をあげた。