葬儀社が老犬ももこを迎えに来た

 昨夜は昨日亡くなったももこと同じ部屋で眠った。息を引き取ったとき横になっていたベッドをそのままわたしの布団の横に並べた。薄明りの中で見るももこはまるで生きているように見えた。こちらを見て、おしっこをしたいと目で訴えかけそうな気がした。身動きしない静かなももことの一夜。あまり眠れなかったが、ももこがいるときも最後のほうはほとんど眠れなかったので、それよりは眠れたかもしれない。
 朝を迎え、いつものようにももこを居間に移動させた。ベッドをそのまま動かしたのである。同じようにわたしは台所に立ち、朝食の準備をした。違うのはももこの朝ごはんの支度をしないことだけ。
 ももこの亡骸の横で朝食を食べた。昨夜デリバリーしたピザを温めたものだ。
 食後少したってから剪定鋏を持って庭に出て、草花や花木を切り花にした。夏はあまり花が多くない。ももこの葬送の準備である。段ボールに安置したももこに庭の花を飾りたかった。柴犬レオのときは紫陽花をたくさん散らした。あの時は紫陽花の季節だったから。ももこには百日草、ヘリオトロープ、日日草、木槿、カラミンサ、ミソハギペンタスなど。木槿は一日花なので明日には萎んでいるかもしれない。
 花を切り終えた頃、犬友だちのひとりがももこに別れを告げに来た。昨日の友だちとは別で、ももこをわたしに紹介した人である。ももことの出会いはこの友人の携帯メールから始まったのである。ももこのおだやかな眠るような顔をなでてくれた。きれいな顔立ちをしているわねと言った。鼻の線が上品だわとも。
 小一時間いて友だちは帰り、小一時間して葬儀社がやってきた。ほぼ同時に昨日の友だちひとりが訪れ、少したってもう一人が訪れた。葬儀社の人とももこの頭側とお尻側を分担して持ち上げ、段ボールの中に安置した。友だちふたりがさきほどの切り花をももこの身体の上やまわりに飾った。わたしも飾った。
 ももこに別れを告げた。今日一日と一晩だけこの家から離れるけれど、明日はお母さんといっしょに帰ってくるよと言って。ももこは骨になってこの家に帰ってくると思っている。
 友だちと三人でももこを載せた車をいつまでも見送った。車が見えなくなるまで。レオのことを思い出した。あの時は弟と見送った。この家に16年何か月かいたレオと1年5ヶ月と2週間しかいなかったももこ。だがいなくなった悲しみ、辛さは変わらないような気がする。レオはわたしの掛け替えのない相棒で同志みたいなところがあった。家族との別れを共に乗り越えてきた。わたしの心の支えで、母を亡くした父の支えでもあった。ももこはそのおだやかな性格で一人ぼっちになったわたしを癒してくれた。それだけでなく、心の整理をしたり区切りをつける手助けをしてくれた。ももこのおかげで、レオとの別れを引きずっていたわたしに前に進む力がもたらされた。
 ももこ、ありがとう。でもあなたがいなくなり、寂しいよ。人間にはできないが犬にはできることがある。そういう力をわたしは愛犬たちからもらった。