老犬ももこの四十九日

 
 曇りで気温が低くなったがこれが平年並みのようだ。朝はかなり寒くなり、羽根布団を出しておいて正解だった。
 今日は8月26日に他界した老犬ももこの四十九日。午前中はももこの写真を見ながら、葉書大の紙に絵を描いた。さらに家に来てくれる犬友だちにさしあげるものを買いに車で駅前まで行った。この前買ったハンカチーフにプラスするものである。家に帰ってきて、ときどき涙しながら過ごした。今になっても、ももこがいないことが不思議に思えることがある。あまりにも短いももことの生活であった。終わってみるとあっという間に過ぎたという実感が強い。もう一度お正月をいっしょに過ごしたかった。こんなことを言ってもどうしようもないとわかっているのだが。
 午後からは月に2回ある生け花教室があり、いつものようにでかけた。ももこがいるときもあまり休まなかった。ももこがいちばん大変な状態になった8月は生け花教室がお休みでよかったと思っている。もし休みでなかったとしたら欠席していたと思う。
 今日の花材は赤いニューサイランの葉4本、ダリア(福寿〉3本、黄色のスカシ百合2本。最近は広げた花材を見て迷いなく活けることができるようになった。目と手がうまい具合に連携してさらさらと活けられる。その都度、どの花材をどこに活けるか、長さはどうするかを判断しているがスムーズに進んでいく。
 こんなふうに活けてみた。


 生け花教室から帰ると、ももこのことをいつも気遣ってくれた友だちが家にやってきた。ももことよく歩いてくれた柴犬の老犬を連れて、手にはももこのための花束を持って。ももこが死んだばかりの時も大きな花束を持ってきてくれた。ありがとうと何回言っても足りないくらい感謝しています。
闘病生活を送っているももこの様子を毎日のように見に来てくれた。8月26日、最後の日のももこにも朝早い時間に家に来てくれて会ってくれた。友だちは後で目がおかしかったと言ったが、最後の朝のももこの目つきはふつうではなかった。
 8月のももこを思い出そうとすれば細かいところまで思い出せそうな気がするが、思い出すと息ができないくらい辛いので今はやめておこう。
 友だちに家に上がってもらい、用意したものを手渡し、お茶を飲みながらしばらく話した。ももこのことやお互いの亡くなった家族のことなど。年が近いのでふたりとも介護の経験があり、また老犬と暮らした経験があるので〈友だちの犬は今も元気)話が合う。
 こうして、ももこの四十九日に訪れてくれる友だちに出会えたのも、ももこのおかげ。ももこにはどこかほっとけないと思わせるところがあって、友だちもわたしもそんなももこに心を動かさせた。
 ももこを偲んで歌を詠んだ。

 こども好きの老犬ももこゆかた着る幼女のすそに鼻近づけり

 葉書の大きさに描きぬ在りし日の老犬ももこのほほえみし顔

 わが愛のまなざし受けし老犬よ見ることは愛することと知りぬ

 絞り出づ低き泣き声届かむか老犬ももこの大きな耳に

 涙のつぶ乾いて顔の一部なり鏡の中のわが顔さびし

友だちからいただいた供華を手向けた
もここが見ることのない花ではあるがわたしはなぐさめられる
ありがとう、重ねてありがとう
ももこの遺影は目の前で起こることをつぶさに見ているような目つきをしている

こちらは笑っているももこの絵