スモモを持って、叔父の家へ

 庭のスモモが熟してきた。もう2回ほど収穫し、自分で食べたり、近所の方に分けてきた。今朝は三回目の収穫をした。午後から歩いて10分ほどのところにある叔父たち〈母の弟たち)の家を訪ねる予定で、庭のスモモを持って行こうと思った。
 いちばんおいしいのは、触れなば落ちそうなほど熟したスモモ。しかも大粒のもの。甘く味が濃く、素晴らしくジューシーだ。だがすぐ食べないと痛んでしまう。ここまで熟したスモモは誰かに差し上げるより前に自分で味わってしまうことが多い。持って行く間に潰れそうで。
 母の上の弟はこの夏、89歳になるが東京オリンピックを目標にがんばると言っている。下の弟のほうは、腎臓が良くなく、心配である。どちらも足元が覚束ないが杖を使ったり、壁を伝えばでこぼこの無い道なら歩ける。
 最後に叔父たちに会ったのは昨年の3月か4月頃。まだ柴犬レオが家にいた頃だ。あれから一年以上になるが、見た目、ガクッと衰えたという感じはない。あれから一回、昨年末に家を訪ねたが下の叔父は2階にいて降りてくるのが大変なので会えなく、上の叔父は外出中だった。話し方が前よりも口ごもった感じで、聞き取り難いがこちらの耳が衰えたのかもしれない。
 3時間余り、昼間からビールを飲みながら話したが、何を話したというほどのことは話していない。それでも叔父たちの〈少しづつ老いていくにしても)変わらない姿を目にすることができてよかった。

 午前中は近くのお寺にお墓参りに行った。家にいて、何かの拍子に父のことを思い出したから。洋室の飾り棚に洋酒の瓶がいくつか並んでいるが、母が亡くなった年、父が弟に「このお酒を持って行かないか」と聞いた。弟はいらないと言ったのだがそのときのことがふいによみがえってきた。父は多分、自分の寿命もそんなに長くないことを知っていて、いろいろ気になることを片付けようと思うようになったにちがいない。そのひとつが、飾り棚に残っていた手を付けていない洋酒の数々で、息子に飲んでもらえればと思ったが断られたのである。わたしの記憶では20年くらいはそこにあったので、古いお酒を弟は嫌がったのだろう。 
 父はその後、2年半くらいでこの世を去るが、気にしていたことをひとつも片付けることなく逝ったような気がした。どうにかしたいという気持ちがあっても体力も気力もどんどん衰えていったからだ。
 こんなことを考えると、お墓に行って花を手向け、父に話しかけたくなったのである。


大粒のスモモがたわわになっている
この写真は、今朝収穫した後で撮ったので、熟して赤くなった実が少ない


こちらは桃の実
日がよく当たる場所の桃はすでに赤みがさしてきた


2週間前くらいから咲き始めた八重咲のクチナシ
何回か写真を撮ってもピンボケで、やっとまあまあの写真が撮れた