桃の収穫

 何日か前、鳥たちから桃の実を守ろうとして袋掛けをしたが、ぜんぜん効果がなかった。
 新聞紙の袋をつっついて桃を食べるから。
 そんなわけで早朝、桃の木を見に行くと、鳥たちが食べた桃の種や、固いためか少しかじって落ちた実が地面に散乱している。
 このままでは鳥たちにぜんぶ食べつくされそうと思い、今日の夕方、ほとんどの桃を収穫した。いますぐ食べられるものもあるし、数日置いた方がいいものもある。
 もぎたての桃を近所の人、通りかかった人に3〜7個ほど配った。いや、その前にわが家用に確保した。7月13日から盆の入りなので、お供えにもしたいから。


 最後の方のレオについて、あのまま生きていたら辛いと思える状態だった、とある人に言われた。そうかもしれないと思えた。毎日生きているだけで大変そうだった、レオ。わたしはもっと生きてほしいと思っていたが、わがままな願いだった。あの小さな身体に重たすぎるほどの気持ちを押し付けたのかもしれない。いや、わたしはきっとまた同じようにせいいっぱいのことをしようとするだろう。
 レオ、ごめんね。いっしょうけんめい生きようとしてくれて、ありがとう。家族がいた時間、家族が少なくなる過程の時間を、わたしとともに歩んでくれてありがとう。悲しさ、寂しさをいっしょに感じてくれ、たくさんの楽しい時間をともにしてくれて、ありがとう。


 レオ君がいた春。おじいちゃん(父)が植えたスモモのふわふわとした白い花や桃のふっくらと可愛らしい花が咲き誇った春。レオといっしょに外で過ごした時間、花たちはどんなに目を楽しませてくれただろう。レオ、君がいたから花を楽しめたんだよ。花を愛でる喜びが何倍も何倍も大きくなったんだよ。
 その春の花がこうして時を経て、大きなきれいな実になったよ。もうレオはいないけれど、あのときの花がこの実になったんだよ。レオと過ごした春がもたらしてくれたものなんだよ。
 レオ君、いっしょに収穫の喜びを感じてくれるかな。わたしの心の中で。わたしのそばで。