スピリチュアルな柴犬レオと公園へ

 長かった雨模様&雨の天気が一段落し、今日はさわやかな風と晴天に恵まれた。
 ホームセンターに買い物があったし、図書館から予約の本が用意できたと電話があったので午前中、車ででかけた。
 姿が見えないレオにいっしょに行く?と聞くと、行くよと言ったので車に同乗。まず買い物をすませ、八雲中央図書館へ車を走らす。ペットロスについての本を三冊借り、図書館で少し読んだ後、車で待っているスピリチュアルなレオと周囲の公園へ。ここは4〜5回くらい、生前のレオといっしょに来たことがある。本を借りたり、資料調べの時、車に乗せて来たのである。
 通路を1周して、少し早いランチを食べることに。この店もレオと2回ほど入ったことがある。奥のテラス席と、通路に面した席に座ったことがある。今日は奥のテラス席に座った。オーダーはモロッコ風の豆の煮込み(トマト味)と特製チキンライスに、ミニサラダ、コンソメスープ、アイスティーがついたランチセット。レオと前に来た時は飲み物だけを頼んだ覚えがある。
 ベジタリアン向きの豆と野菜たっぷりで、とてもおいしかった。あまり長居はせず、店を出で、次に行きたい所へ車を走らす。といってもすぐ近く、駒沢オリンピック公園だ。
 ケヤキなどの大木が空をおおい、緑濃い場所と、空が大きく見える広場がある。レオとよく歩いたコースをまず歩き、たくさんのケヤキの木が木陰をつくる所で休憩。根元を囲むようにおかれた木のベンチに座った。さわやかな風が吹きわたり、木立ちを揺らし、無数の葉がすれて音を奏でる。心に静かにしみとおるような音。思えばレオの介護生活は、家の中と庭、駐車場、近くの用水路を行ったり来たりの日々だった。狭いところでレオと時には睦みあい、ときにはぶつかりあうこともあった。レオに哀しみを感じた。もともと犬はもっと広い世界で生きる動物だ。
 あんな狭い所で、食べ飲み、眠り、わたしと心を通わせたり、ケンカしたりして。ほんわかした時間もたくさんあった。だがレオ本来の生活ではなかった。わたしは時折にしてもでかけて、もう少し広い世界に接することができた。
 まっすぐ歩こうとしてもくるくる回ってしまう、もどかしさ。最後のほうはそれさえもできなくなっていた。家のすぐ近くに行くにしても最初は自分の脚で歩いていたが、最後のほうはわたしに抱かれて移動し、地面に下ろされてそこをくるくる歩いていた。
 姿の見えないレオと広い空間を楽しんだ。風のここちよさ。一度、かなり強い風がケヤキの枝を大きく揺らしたとき、レオが喜んでいるように思えた。
 しばらく時間を過ごした後、空が大きく見える石畳の広場を通り、駐車場に向かった。少し前、大きな空が見たいと思ったときがあった。こうして見られることができたのはよかった。レオがわたしをここに連れてきてくれたような気もした。

この席でランチした

駒沢オリンピック公園ケヤキ広場

久々に眺めた広い空

レオの写真がないと寂しいので、2008年7月に多摩川で撮った写真をアップロード