老犬レオの最後

 今日は夏至で一年でいちばん日が長い日だが、朝から曇り空。今日はまた先週の土曜日に16歳と2カ月余りで他界した柴犬レオの初七日でもある。
 朝起きて庭に出て、お供えする花を切った。大輪のダリア(レオが亡くなった頃から開き始めていた)と、バラ、チドリソウ。
 1週間たちレオの最後の様子を書き留めたいと思った。気持ちは整理などできないし、思い出せば苦しく辛い。髪の毛を手でかきむりたい思いにかられることもあるが、記憶もだんだん薄れていく。まだなまなましいうちに言葉にしておきたい。

 最後の元気だった夜。14日の金曜日は夕食を7〜8時の間に食べたと思う。出したものを8割くらい食べた。薄切り豚肉を焼いたものと、野菜はすりおろしのニンジンと他に小松菜を炒めたもの、スライスチーズ。食後の水はそんなに飲まなかったが、食事の前に水をわりと飲んだ。
 食事の前におしっこをしていたが、食後も用を足したいのではと思い、抱いて駐車場に連れて行き、ブロック塀に寄りかからせるようにした。そこに散歩帰りのチワワと飼い主さんが通りかかり、レオがチワワのほうに近づいていったのは先日も書いた。レオが最後に会ったわたし以外の人と犬になった。
 調子が悪そうなレオをその後すぐ家に抱いて戻し、レオは庭に面したレオの部屋でうずくまるように眠った(と思う)。ときどき寝る場所を変えたかもしれない。食後、レオがどう過ごしたかあまり憶えていない。11時〜11時半ごろ、わたしは眠ろうと思い、レオの様子を見に行くと廊下でアルミサッシ沿いに眠っていたように憶えている。もしかしたら本箱にもたれかかるように寝ていたかもしれない。どっちにしろ、気持ちよさそうに落ち着いて寝ているので、今夜はこのまま移動させないでおこうと思った。
 レオをそのままにしてわたしは廊下をへだてた自分の部屋で眠りについた。
 目が覚めたのは午前1時ころ。枕元のケイタイで確認した。レオの泣き声が聞こえてきた。目を覚ましたのだなと思い、扉を開けるとレオがいつもいる部屋から続いている廊下にいた。わが家の廊下は6畳の居間と8畳の仏間をかこむようにL字形につくられている。庭に面したレオの部屋は廊下の幅が2倍強になったサンルームみたいなところで廊下に続いている。
 レオを抱き上げて庭に面した部屋に連れてきた。泣いているのはおしっこをしたいのか、水がほしいのか、お腹がすいたか、どれかではないかと思った。今までレオが夜中に起きて泣いたり、興奮したりするとき、これらを満たすと落ち着くことが多かった。
 うすめた牛乳を飲ませるとかなり飲んだ。のどがかわいていたんだと思い、レオのそばにしばらくいると落ち着いたように見えたので、レオをわたしの部屋に抱いて行き、横たわらせた。わたしはレオのおしっこの後始末をした(と思う)。後始末を終える前にレオが泣いて起き上がろうとしていた。
 しかたなくまた抱いて、レオの部屋に置いてあるソファに寄りかからせた。レオは結局、午前1時ころ起きてそのままずっと眠らなかった。わたしはその後、水を二度飲ませたが二度ともかなり飲んだ。ドッグフードも少しあげたが、口の中にくわえることができない。数粒ほど食べたが、レオの顔をみて、これはお腹がすいている表情ではないと思い、やめた。
 今思うとレオは熱が出始めていたのだ。いや、もう高熱になっていたのかもしれない。あんなに水を飲んだのはそういうことだろう。そのときは気が付かなかった。わたしは異変をまた感じていいなかった。いつものように興奮して眠れないのだと思っていた。おしっこをしたり、水を飲めば落ち着くと思っていた。
 ただ、レオの泣き声が気になった。いつものワンワンでなく、訴えるような短い叫ぶような泣き声だった。
 その声に嫌な予感がした。だいぶ前に同じ敷地内に建てた別の家を人に貸していたとき、そこの飼い犬が死ぬ前に泣いた声に少し似ていた。ただ、声の大きさは違ったが。その犬は外飼いで、飼い主さんが散歩に行けないとき放していたがそのとき交通事故にあい、それが原因に死んだ。近所に響き渡る苦痛の泣き声だった。レオがそこまででなく、短く、でも切迫した響きがある声でないていた。
 わたしはこういう予感がありつつ、バカなことをした。早朝4時過ぎ、外が白んできた頃、レオを抱いて駐車場に連れて行ったのだ。いままで落ち着かないとき外に出すと落ち着くことがあったから、もしかしたら今回も、と思った。さらにバカなことをしたことを思い出した。早朝になる前にも短い時間、外に連れ出したのだ。熱が出ていたので、これで体力を消耗させてしまったと痛切に後悔している。もちろん、足元がふらついていたのでほとんど抱いていたのだが。
 駐車場から戻ってきて、わたしはレオの部屋に座布団に折って枕にして、レオに添い寝した。もうレオのそばにいるしかないと思った。もっと早くそうしていれば・・・・・。あれこれレオに対してやらずに(水を飲ませるのはよかったが)、レオを抱い寝かせていればよかった。泣いたり起きようとしたらなだめるくらいにして。なんとか落ち着かせて眠らせようとしたのが完璧に裏目に出た。
 レオはいつもとは違う、体調の異変で苦しく眠るどころではなかったのだ。
 レオのそばにいてすっかり夜が明け、レオの様子がぐったりしてきた。うんちを2回した。一回目は固めのうんち、2回目は少しゆるかった。そのころにはもしかしたら、もうダメかもしれないと思い始めていた。息遣いが荒いので人間用の体温計をあて股の裏で熱を測ると40度を超えていた。高熱だ。すぐ動物病院に電話をして、レオの容態と高熱を話し、すぐ車で病院に行った。その少し前まで泣いていたレオは、車に乗せたあたりからぐったりしてもう泣くことがなかった。
 病院につき(前に車が止められる)、すぐ処置台へ。脱水症状の熱かもしれないということで点滴をし、血液検査をした。解熱剤の注射、抗てんかん剤のフェノバールの注射、低血糖だったのでブドウ糖の点滴も追加。その間、処置台に乗せられたレオのそばにずっといて、なでたり、声をかけたりしていたが昏睡状態だった。一度、口をかくかくと開ける発作をおこした。これは車で出かける前、わたしがレオを抱き上げる前にもこの発作があり、この後、泣かなくなったのだ。先生は口をかくかくさせる発作を見て、脳炎による高熱の可能性が高いと言った。
 処置がすみ、入院する犬猫が入るケージに移動。わたしが抱いて移動した。ケージの扉を開けて、レオのからだをなで続けて点滴も入っていくが、一向によくなる気配ない。ここでも1〜2回、ゆるいうんちをした。スタッフの方が拭きとり、湿ったタオルできれいにしてくれた。お昼の12時前、レオの口が変な風に動いた。先生はこのまま意識がない状態が続く可能性があると言ったので、長期戦に備えて、そろそろ昼食にパンでも買いに行こうと思ったときだった。わたしには水をほしがっているように見え、病院のスタッフが用意してくれた器から注射器に水を入れ、レオの口の中に流した。が下にぽとぽと落ちるだけ。スタッフにレオの口の動きを見せると、急いで先生に呼んできて、これは息を引き取る前の呼吸だといわれた。これが起きたら、人工呼吸器をつけるなどしないと、息が止まり、次に心臓がとまると。人工呼吸器などとんでもない。早くラクにしてあげたいと話しているうちに息が止まり、少したち心臓がとまった。
 16才と2カ月と19日。レオの時間がなくなった。 ありがとう、と何百回言っても言いきれないくらい、ありがとう。わたしがレオの生活を支えていたかもしれないが、レオはわたしの人生を、心を支えてくれた。
最後を看取ったがたくさんの後悔が残る。さきほどレオの部屋で土下座して詫びた。


 長々書いてしまいました。ぜんぶ読んでいただかなくても大丈夫です。さわりだけでも読んでいただければ。愛犬家でない方にはわたしの嘆きが感傷的過ぎる、大げさ過ぎると思われるかもしれません。でもレオは家族、いや家族以上の存在だったのです。どうぞご理解を。

 後悔に溺れるのはレオも望んでいないから。レオとは長い間、幸せに暮らしたね。たくさん楽しいことがあった。レオの愛情をいっぱいもらえたね。お母さんの愛情もいっぱいあげたね。どんなときもわたしのそばにいてくれて、家族がひとりひとりと少なくなる最後の5年あまり、力をあわせて乗り切ったね。おじいちゃんはレオがいてくれて、すごく助かったよ。ひ孫よりレオのほうが何倍も好きだったよ。ありがとう!

 今日は夏至、太陽は出なかったがやはり、日が長いのがわかる。曇っていても外は明るい(午後6時過ぎ現在)。


2009年4月9日、桜の季節に多摩川台公園で撮影
12歳と14日のレオ



2009年8月、多摩川の河原で、12歳のレオ
6月に高熱を出し、病院に行き、このときは回復した



2009年8月、12歳のレオ
大好きな花屋さんの店先で


これも2009年8月、12歳のレオ
多摩川の河原の公園に置いてある豚の遊具に上がっている


2010年7月、多摩川の河原で、13歳のレオ


2011年元旦、久しぶりにレオと多摩川の河原まで歩いた
富士山がきれいに見えた
まだ13歳だが歩くのがゆっくりなため、多摩川まで歩くのに時間がかかった


2012年2月4日朝、用水路沿いで、14歳のレオ
散歩はあまり距離を歩かなくなり、近場ですましていた


2013年1月14日、大雪の日、雪が見える部屋で眠るレオ(15歳)


2013年4月1日に撮影、16歳になって6日目のレオ
桜が散り始めた用水路沿いで