国会図書館に行く

 雲が多いが陽射しがそそぐ、あたたかい1日。

 今日は国会図書館に行こうと決めて、準備してでかけた。予想外のことは赤  い金魚のイヤリングを二話で落としたこと。出かける格好で、めだかに餌をやったり、植え木鉢に水をやったりしているときに落とした。気がついて捜したら見つかったが悲しいことにわたしが踏んだのだろう。金魚の赤い尾びれが砕けていた。

   イヤリングをせずに図書館に行った。

 今日は読む本が決まっていた。歌人阿木津英さんの歌集『天の鴉片』を読むために国会図書館に行ったのである。

 歌集はデジタル化していたが、紙の本より読みやすかった。文字の大きさを調整できるのが大きい。176ページの本をデジタルで読み切った。これとは別の紙の本も閲覧した。『天の鴉片』以外の歌集もどんなものがあるのか、さわりだけでも読みたかったので、現代短歌文庫を借りた。阿木津さんがいちばん最初に出した歌集の収録されている。

 フェミニズムの姿勢を短歌で打ち出した、歌人であるようだ。男性と女性が詠む短歌の違いはときどき感じることはあるが、それをことさらに考えることはない。短歌は個人差でいいのではないかと思うが、そんなに単純な問題ではないかもしれない。

 きゅはかなり集中して歌集を読むことができた。午後4時過ぎまで図書館にいた。

 電車で二子玉川に出て、ファストファッションのH&Mで、いくつか試着した。買ってもいいなというワンピースがあったが、ボタンがどうしても嵌められなくてあきらめた。ボタンがはめられなければ外出できないのでしかたない。

 ボタンをはめようと躍起になっているときに、試着の順番を待っている人がたくさんいたので、申し訳なかったと思った。

銀杏並木が芽吹き始めた、国会図書館前の道

国会図書館の桜





晴天はひろがるが気温は低め

 昨日の風と雨が嘘のようなおだやかな晴天がひろがる。

 昨日の歌会の疲れがそれほどでなければ国会図書館に行くつもりだったが、目の疲れを感じたのは行かないことにした。

  ただ、国会図書館に問い合わせて、わたしが読みたい歌集の蔵書があるか、閲覧できるかを問い合わせた。阿木津英さんの歌集『天の鴉片』(てんのあへん)である。歌集はあるがデジタルで閲覧できるとのことだ。実際に手に取って読める本もあるようだが、歌集の全体が収録されているかはわからない。図書館に行って、見てみるしかない。

 昨日の武蔵小杉の歌会でみなさんから預かった短歌をワードに入力して、歌会のための資料を作った。ひとり、歌会を休んで次の歌会の短歌を提出していない人がいるので電話をしたが、まだできでいないので夜電話をするとのことだ。

 その一人分と自分の短歌のところだけ空けて、入力が終わった。

 さらに、4月15日必着の題詠1首をいろいろ考えた。題は「時」である。いくつか候補はあるが、これだというのがない。

 季刊の短歌誌「しらぬ火」に送る短歌は10首で4月末必着である。ただ、掲載紙はいつもだと4月の初めに送られてくるが、今回は印刷所が変わったので雑誌の仕上がりが遅れて4月の中旬にこちらに届くようだ。いつも「しらぬ火」が届けられてから、次の号に載せる短歌を考え始めるが、今回は届いていなくても考え始めたほうがよさそうだ。

 「しらぬ火」の編集長に電話をして、いつ頃届くかを確認した。12日の午後に発送するとのことで、熊本県八代市からなので東京に届くのは16日か17日になるだろう。

 印刷所を変えたのは、いままで頼んでいた所に印刷費の値上げを打診され、それが2倍近く高くなるので、別の印刷所を探したのとことだ。2倍の制作費を要求されるとは、うちではもうできませんと言われたようなものなので、別を探して正解だった。

 家にいてもいろいろあった一日だった。

雨風強い時間に武蔵小杉の歌会に行く

 午後から武蔵小杉駅前のビルで短歌の歌会があるので、昼過ぎ家を出た。出たとき、おさまっていた雨がすぐ強くなり風も強い。

 多摩川の土手の上のバス停で傘の横から降りつける雨にぐっしょり濡れた頃、やってきたバスに乗り最寄り駅へ。武蔵小杉駅前のタワーマンション2階にある会場(小さな会議室)に行くと、3人の仲間が先に来ていた。今日は天候が悪く、来れない人が一名、天候に関係なく来れない、または来る気のない人が2名、休会するのでわたしを入れて4名の歌会である。

 今回は司会をわたしが務める。みなさんに送ったプリントには全員(といっても6名)の短歌と名前が印刷してある。

 これらの短歌を一つ一つ、参加している4名で鑑賞し、意見を言い合った。

 いつもよりさらに話が脱線、発展して関係ないおしゃべりの時間が多くなった。わたしは司会なので、みなさんの話を聞きながら切りがいいところで短歌へと話を戻した。もちろん、わたしも脱線、発展した話に加わるが、司会としての役割は忘れない。

 歌会の半ばころから、雨が止んだようだ。トイレに行って帰る途中、外を眺めると傘をさしている人はなく、風が強いのが見てとれる。

 歌会を終え、みなさんとビルの外に出ると風が冷たかった。天気予報で低気圧が去ると急に寒くなると言ったがその通りになった。

 駅近くのスーパーマーケットの前でみんなと別れ、わたしも入れた女性たちは買い物をし、男性ひとりは改札に向かった。

 買い物をして、電車に乗って最寄り駅で降りた。駅前のケンタッキー・フライド・チキン2階のカフェに、昨日と同じように入った。今日が誕生日の友だちが2名いて、一名には午前中に誕生日のお祝いメールを送った。もう一名にはカフェでお祝いのラインを送ろうと思ったのである。

 ところが送ろうとラインに入力しようとしたそのときに、その友だちからラインが届いた。誕生日のカードを送るつもりだったが、まず相手のラインに返信し、続けて文章でお祝いの気持ちを伝えた。自然な流れでお祝いの気持ちを伝えたほうがいいと思ったからだ。

 今日が誕生日の友だち2名は1名が40年来くらいのおつきあい、もう一人は7年くらいのおつきあいである。

 1時間あまり2階にいてから、家路についた。

昨日は健康診査の結果を聞きに行く

 昨日は時々小雨がぱらつく不安定な天気。

 午前中は今日送る予定の題詠を考えた。考えれば考えるほど迷路にまよいこみそうな予感もある。

 それでも考えてしまう。

 午後から最寄り駅前の病院で三月の末近くに受けた健康診査の結果を聞きに行くので、時間をおくことにしよう。

 気温は高めだが、雨はほとんど降っていないので、駅まで歩いた。山吹が咲いて、桜が咲いている。こんなに平和であることを心からありがたいと思った。

 病院はすいていたが、医師が遅れて来たようで、診察開始が30分ほど遅れた。それでも二人目だったので、すぐ順番が回ってきた。

悪玉コレステロールが高めと云われた。これは毎年のことだ。善玉コレステロールの数値が高いのも例年通り。

 若い医師は食べ物を気を付ければ数値は下がると言った。ただ、コレステロールが高い食べ物は美味しいので、気にせずに食べるという選択もある。人生観の問題だと。

 運動はどうでしょうか。運動でもいいですよ。

 食べ物をそこここ気をつけて、運動にも励むようにしようと思った。大谷選手のストイックな食生活はとても真似できないので。エクササイズの量も真似できないが。 

 病院を出て、駅前のパン屋でバケットを買ったあと、ケンタッキーフライドチキンの2階でこれを書いている。

 書いたブログをアップロードするのを忘れてしまったので、日が変わってから(4月9日)にアップロードした。

 

道路の左右に山吹と桜が散っている、三枚とも昨日撮った写真




 

久しぶりの晴天

 ぐずついた天気が続いたが今日はお昼近くから晴天がひろがり、お花見日和の一日だった。

 午前中は雲が多くて、わたしも出かけずに家にいてここ数日と同じようにパソコンで短歌を読んだ。「日々のクオリア」というサイトである。

 4月10日必着の献詠歌をあれこれ考えているがなかなかいい歌ができない。「耳」という題詠である。

 午後になり、晴天の空を見て思い立ち、庭に出た。例年は寒い時期(1月か2月くらい)に剪定する楠だが、今年はまだ切っていなくて、枝を伸ばして若葉がひろがるのを居間から見ていて気になっていた。楠は大木に育つ木なので、なんとか大きくならないように頭を押さえるようにしている。太い枝をまっすぐ上に伸ばす性格を持っているので、その太い枝を切るようにしている。そのまま伸ばしてしまうと二階建てのわが家の高さをたやすく超えてしまうだろう。

 楠の枝はやわらかめでノコギリや植木ばさみでわりと楽に切れる。太めの枝でも力を加えれば足や手で折れる。だが樹液が出るのかノコギリの刃が粘るような感覚がある。 

 樟の上に伸びる枝を根元からばっさりと切って、横にひろがる枝は短めにした。切った枝はぼきぼきと手で折って、紐で束ねた。

 ほかにも石榴の木を剪定した。楠は常緑樹だがこちらは落葉樹で、小さな新芽が出ている枝を切り詰めた。さらに柚子の木の伸びた枝と混み合った枝を切った。石榴と柚子の木の枝は切ったまま放置してある。明日の夜から雨が降るようだがそのままにして、天気が回復してから剪定枝を片づけよう。

 

姫りんごの花がきれい

花壇の花たちも陽光をあびてうれしそう

真っ白な花桃の花

 

桜は少しづつ散り始めた

 

近所の川べりの桜

夜になるとこんなふうに








 

 

 

等々力不動尊に桜を見に行った

 曇り空でわずかに青い空がのぞくやうな天気。最高気温が15度くらいでそんなに寒くはない。あたたかくもないが。

 午前中と午後早い時間はパソコンに向かって短歌を読んだり、作ったりした。パソコンに向かっているとき、玄関に人が来て弟が出たが近所の奥さんでわたしに用があった。家庭菜園で作った小松菜を持ってきてくれた。

 いっしょにわが家の花壇を身ながら少し話した。今咲いているチューリップの花や鳥に葉っぱを食べられた百合の話などなど。奥さんが花壇を見てきれいに手入れしているわねと言ったが、ぜんぜんきれいに手入れしていなくて雑草の花も咲いている。ヒメオドリコソウホトケノザなどだ。雑草でも好きな花だから残しているが、奥さんの言葉にうながされて、引き抜くことにした。抜いちゃえ、抜いちゃえと奥さんも言う。

 午後おそい時間に家を出た。買い物ついでに花見を楽しもうと思った。循環バスに乗って等々力駅まで行った。駅近くの店二軒でいくつか買い物をして、そのまま歩いた。

 等々力不動尊まで歩き、境内に入る。お釈迦さま生誕の日は4月8日なので、境内は花まつりの花がいっぱいだ。花まつりの日には小さなな釈迦尊像を祀られる小さな花のお社が置かれている。

 本堂から一段下がったところにもう一つの境内があり、そこは15年以上前は桜がきれいだった。植えられているソメイヨシノはだんだん衰えて来て、年々寂しい感じになった。

 奥のほうで地面に敷物を敷いて花見をしているグループがいた。それ以外は犬の散歩をする人か、カップルがほとんどだ。ひとりで歩いているわたしもいる。

 花見をして、さらに階段を下ると等々力渓谷に出るが、ここは歩行禁止になっていた、倒木の恐れがあるとのことだ。等々力渓谷(渓谷を小さな川が流れている)の川辺を柴犬レオとよく歩いたものだが遠い昔ことである。15年以上前だと思う。

 渓谷から急な長い階段をのぼって不動尊に戻り、そこから家まで歩いた。道の両側の建物は様変わりしていて、歳月が過ぎたことを強く感じた。

 

等々力不動尊の境内

お釈迦像が祀られる小さな社

本堂から階段を降りてさらに下に行くと祠のある境内がある

はなやかさはないが、しっとりとした趣のある桜が見られる

 

今日も雨模様、午前中はパソコンに向かう

 昨日、桜が満開になったと思ったら、天気はすっきりしなくてでかけたい気持ちが盛り上がらない。

 こんなことを言っていると令和6年の桜を見逃してしまうので、なんとかしないと。

 とりあえず、今日の午前中はパソコンに向かって、ネットで読める短歌を昨日に続いて読んだ。いまはまっているのが「日々のクオリア」というサイトで、歌人がご自分の好きな、またはいいと思った短歌を紹介している。その歌人の好みがわたしにぴったりはまるものと、それほどでないものがあるのがわかって、おもしろい。

 わたしに刺激を与えてくれるいくつもの短歌に出会うことができ、引き続き読んでいきたい。

 午前中、武蔵小杉の歌会の仲間から電話があった。3月の歌会の日は2回ともかなり強い雨が降ったので、二回とも休まれた高齢の方だ。外出時は杖を使うので、雨の日は傘と杖を持つことが難しく休むしかないと話された。確かにその通りだと思うので、天気が良い日にはぜひ参加してくださいとこちらの気持ちを伝えた。

 この方が提出した短歌に訂正があるので、これをわたしに伝えたかったようだ。ほかの仲間に電話で聞き取ってもらった短歌だが、一部分、うまく伝わらなかったようだ。

 高齢や体調などで歌会を休む人が増えるとそれをカバーする人が必要になり、負担が増えて来る。わたしは最低限のことしかしない、または最低限のこともしないとみなさんに伝えてあるので、頼ってくる人はあまりいない。しかたなく頼ざるをえなくなるまでは。

 フォローとかカバーを始めてしまうとだんだん負担が大きくなってくるのだ。相手の負担が当たり前になってきて、さらに負担がかかるようになるのだろう。

 これはわたしと誰かの関りでも同じで、わたしが誰かに負担をかける側にまわることは十分ありうる。気を付けるようにしているが、頼りたくなる気持ちをコントロールするのは大変なこともある。