短歌誌に送る詠草を考える

 朝から晴れて気温も上がった。

庭に出て、ゴミ袋に入れた落ち葉をかき混ぜていると、家の前の道を犬を連れた知り合いが通った。立ち止まりこちらを見たので、道まで出てしばらく立ち話をした。三が日にコンビニに行ったときも、これから初詣と言って犬と歩いていたこの知人に会った。会わない時は一年近くも会わないこともあるのに、会うときはよく会うからおもしろい。

 午前中、部屋の掃除をしたときはエアコンを消して窓を開け、空気を入れ替えた。

再度エアコンを入れたのは午後3時過ぎ。炬燵のある居間でパソコンを開けて、短歌誌に送る詠草8首をあれこれ考えた。新たな短歌を作るのではなく、いままで作った短歌をどのように組み合わせるか。この歌は入れようというのが何首かあり、それを中心に組み合わせる歌を考えた。

 考えながら、武蔵小杉の歌会の先生を思い浮かべた。この歌を先生は何と言うだろうか。以前、短歌誌に送った8首を先生が講評して、1首として成り立つ歌はひとつしかないと手厳しいことを書かれたことがあった。このように言われたのでは立つ瀬がない。

 名歌とまで言われなくても、短歌としてきちんと成り立っているものを短歌誌には送りたいし、さらに言えば新しい試みのある歌を何首か入れたい気持ちがある。

 だがこれが問題で、新しい試みはこける可能性もあるのだ。ただ、無難な歌でまとめるとなんのために短歌をやっているのかという根本的な疑問が湧くので,やはりチャレンジは欠かせない。

 詠草8首の締め切りは今月末なのでまだ時間がある。いちおう8首選んでまとめたが、これから詠む短歌にいいものがあればどんどん差し替えていくつもり。いつもこの方法で短歌誌に送る8首を決めている。この歌はどうかなというのを、これだという歌に差し替えていけばより内容が充実すると思う。

 

先がけてひとつ開ける乙女椿晴れわたる冬の朝の光をあびる

 

ショパンヘビーメタルも空港のピアノ音楽のジャンル問わず

 

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紅梅の盆栽を真上から撮ってみた

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昨年よりは花数が増えた日本水仙、といっても7本だが


 

今日で治療を終えて

 昨日より一段と寒くなった。陽射しはほとんど出ない。

 朝7時半過ぎに家を出て、駅前の病院まで歩いて行き、診察券を出して治療の順番を記したカードを受け取った。5番目である。

 年末の交通事故で、右足先を怪我させてしまった方の診察に付き添うために病院に来たのである。

 診察が始まる時間まで1時間ほどあったので、駅前のカフェに入り、ドリップ珈琲のSサイズを注文した。街の様子が眺められる窓際の2つ椅子がある席に座った。カウンター席でもよかったがもう少しゆとりがほしい気分だった。

 40分くらい店にいて、その席から眺められる街の光景を短歌に詠んだ。 

 店を出てすぐ病院に行き、ほどなく待ち合わせていた人がやってきた。診察まで30分近く待ったので、あれこれ話した。ほとんど相手が話したが、年齢差が干支で二回りあることがわかった。

 国籍は中国だが日本の永住権を得ている。生まれてからずっと日本で暮らしてきたわたしには、母国を持ちつつ外国で生活するという生き方そのものが遠く感じつつ関心もあった。

 いつまでも話していられそうだったが、名前を呼ばれ診察室に付き添って入った。

 痛みがどのくらい残るかを聞かれた。そのあたりを押せば痛みがあるとのことだ。

 いくつかのやりとりののち、その方の意向もあり、今日で今回の治療は終えることとなった。

 いままで預かっていた診察券を本人に返し病院を出て、駅の改札口で別れた。

 近くの店で朝食のパンを買って家路についた。

 

学校へ職場へ急ぐ朝の街われだけが見る曇天ひろがる

 

マフラーに個性を出して制服の女子高生連なり歩く

 

枝さきのすべてを空に向けながら葉のなき季節を生く花水木

 

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庭の赤と白の絞り模様の椿、つぼみがひとつふたつふくらんでいる

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盆栽の紅梅もつぼみがふくらみはじめた

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短歌会の詠草をプリントして送った

 昨日より陽射しが出て空気が乾燥している。

 風はないが空気が冷たい。

  午前中は近くの特別支援学校に行き、校内のカフェでハーブティーを味わった。親しくしている知人が集まり和気あいあいと談笑を楽しんだ。

 校内の売店では、味み菜一把と、スティックセニョール(茎を食べられるブロッコリー)一袋、二個入りのクッキーをひとつ買った。

 一昨日、武蔵小杉の短歌会が開かれたが、そのとき出席した皆さんが持ってきた次回の歌会のための詠草をその夜ワードで入力した。ひとり体調を崩して出席しなかった人からの詠草を三首記した葉書が今日の午後いちばんで届いた。わが家のFAXが故障してしまい不便だが葉書で送るよう一昨日電話をしておいたものだ。

 その三首を前もって入力した文書に加え、短歌を詠んだ人の名前を入れたバージョンも作り、プリントアウトした。先生に送る詠草は名前付き。その他は名前なしを送る。

コンビニで人数分をコピーした。わたしは司会を務める予定なので名前付きを手元に残し、その他は封筒に入れて発送した。

 先生は次の歌会の前までに、全員の作品を評価・添削し,歌会の世話役の人に送り返す。世話役は人数分のコピーをとり、歌会当日に持ってくることになっている。

 発送する前に、歌会の日を間違えていたことに気づき、手書きで直した。みなさんの短歌を間違って入力していないかに気をとられ、日にちを間違えてしまった。次からは気を付けよう。

 

棘で刺し触らるるを拒む薔薇の花 仏前に供えむと切り花にせり

 

地球が牙をむきはじむ四か月を超え鎮火せぬ森林火災

 

 

あたたかな日、武蔵小杉の歌会へ

昨日は最高気温が14℃ほど。3月のあたたかさだった。

午後から東急線武蔵小杉駅前のビル内で開かれる歌会があった。

いつも行く特別支援学校のカフェはお休みして、午前中、ゆっくりと時間をとった。

お昼過ぎのバスに乗って武蔵小杉まで行った。

 今日の歌会はみなさんの詠草のプリント作りや郵送をわたしが行ない、歌会の司会もわたしが担当した。

 先生が歌会に出席されなくなって七か月ほどたった。歌会には来られなくなったがわたしたちの詠草を先生に送り、それぞれの短歌の評価や添削を記したものが送り返されてくる。それを人数分コピーして歌会の最後に皆さんに配る。

 司会者は誰がどの短歌を詠ったかわかるし、先生の評価、添削を参照しながら歌会を進行する。他の出席者は誰がどの歌を詠ったかわからない状態で、歌の評価、感想などを述べていく。

 歌会の前に先生から郵送された2020年度版短歌手帳が配られた。わたしは2016年からこの歌会に参加しているので、2017年度版からいただいており、今年で4冊目だ。

 なかには三十年以上、先生に師事している人もいる。短い人でも十五年ほど先生に師事している。わたしは先生がご高齢になり健康面で不安を抱えるようになってから参加したので、元気な時の先生はみなさんの話の中でだけ知っている。

 わたしの歌を先生は添削してくださった。その歌をここに記しておく。

 

川べりの一糸まとわぬそめいよしの雲を浮かべる空を装へ(もと歌)

 

霞消え川べりに咲く染井吉野雲を浮かべる空に映えたる (先生の添削)

 

 わたしは花も葉もない冬の枯れ木立の桜を詠んだが、先生は花の季節の桜を詠んだ。こういうのを添削というのだろうか。

 

葉の繁る季節に気づかぬ巣をひとつ梅の古木が掲げていたり(もと歌)

 

葉落としてわれは気づけり巣をひとつ梅の古木が掲げていたり(先生の添削)

 

「巣」は「鳥の巣」にした方がいいと言うみなさんの意見も。

 

クリスマスのリースをともに作りしがわれもリースも友より消えつ

 

 上の歌は先生に意味不明と言われた。特に「われもリースも友より消えつ」の下二句が。「下句が物足りない」とも。

クリスマスのリースをともに作りしが友の記憶は白紙となりぬ(自分で推敲)

 

 今日は朝から雨が降ったが午後になり止んで、日差しも出た。

 昨日より寒く、エアコンの暖房が効いた部屋で掘り炬燵に入り、いろいろな短歌の本を読んだ。こういう一日がいちばん幸せな気持ちになれると気づいた。

 

軽鴨のつがいを慕ふか一羽にて川に暮らせる軽鴨離れず

 

主の逝く空き家の庭樹誰かの手に整えられて春を待ちをり

 

ひとつだけ早く咲きたる八重椿春の光を知らずに果てなむ

 

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白梅のつぼみ、柴犬レオがいた冬も、老犬ももこがいた冬も同じように眺めた

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沈丁花のつぼみ

 

名無しの落葉樹を剪定する

 日中は陽射しが注ぎ、気温が上り過ごしやすかった。エアコンの暖房は朝と夕方になってから使った。

 弟が午前中に来て、二階で飼っている犬の散歩を長めにして帰った。

 わたしは午前中、明日の歌会の準備をした。みなさんの短歌(わたしのもふくめて)19首の中から5首を選ぶ。自分の歌は選ばないから16首から選ぶことになるが、今回はいい歌が少ないと感じ、選びにくかった。

いちおう5首を選んだ後、庭に出て気になっていた名無しの落葉樹を剪定した。昨年は植木屋さんに剪定してもらった。植木屋さんは上に伸びる強い枝は切ったが横にひろがる細めの枝は残した。このような伐り方のほうが木が暴れないような気がする。

 すべての枝を切り落とすと、木は必死になって枝を伸ばそうとしてして、強い太い枝を真っすぐ上に伸ばしてくる。横の枝を残すと、木のエネルギーが分散されてほどよい枝張りになるように思う。

 植木屋さんに倣って、上に伸びた強く太めの枝と、隣家の壁際近くまで伸びた横の枝だけを切って、横にひろがる細めの枝は残した。

 夏になり、どのように枝が伸びるか見て、さらに剪定の仕方を工夫したい。

 

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午前中に切った太く大きな枝を小さく切って束ねた

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昼食後ひと休みして、剪定を再開したとき切った枝、あわせて7本切った

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枝を切った後の樹、枯れた葉っぱがなかなか落ちない

 

庭の枯葉を集める

 雲が多く、陽射しがなくてうすら寒い日曜日。

 朝は早めに目が覚め(といっても5時過ぎ)、NHK短歌と俳句を見ることができた。

 午前中は新聞を読んだり、テレビを見て過ごした。

 お昼近くになり、近くの菩提寺に行った。今日は12年前に他界した母の命日。一昨日、花を供えたのでお線香をくゆらすだけのお参りだ。お正月の花がまだきれいに残っている墓地にいつもより長くいた。

  家に帰り、昼食をとるが昼食後、眠くなったので炬燵に横になったが眠ってはいけないと思い起きた。

 炬燵に入っていると眠くなるので、デジカメで庭の草花の変化でも撮ろうと外に出た。芽を出したクロッカスの写真をいくつか撮ると他に撮るものもないように思えた。

 そこで柿の木の下に放置してあるゴミ袋5つに入れた落ち葉を天地返し。落ち葉を発酵させて腐葉土にするには空気を入れるためにかき混ぜたほうがいいので、ときおりこの作業をやっている。

 落葉を棒でかき混ぜながら庭を見わたすと、まだ落ち葉がいっぱいあるので、掃き寄せることにした。落ち葉の一部は庭の隅二か所に掘った穴にほうりこみ、一部は新しく小さな穴を掘って埋め、一部は新しいゴミ袋に入れた。

 それでもまだまだ落葉は残っているが、庭木の根を寒さから守ってくれるのでぜんぶはとらないことにした。春が近くなり、落ち葉が目立つようになったら掃き寄せて穴に放りこんだり、ゴミとして捨てればいい。

 だんだん年を重ねてくると、冬の庭がいかに趣があるかということに気づくようになった。一部の常緑樹、落葉樹をのぞき、ほとんどの木が休眠状態にあり、そのしずけさがここちよい。春の庭に花がいっぱい咲くのは見ていてうれしく心躍るものだが、あふれる生命力に圧倒されるところがある。

 静かに春を待つ庭はこちらのこころを安心してゆだねられるような気がする。

 

キャベツに刻むその音に思い出づること一つ二つ亡き人亡き犬

 

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毎年この時季になると必ず芽を出すクロッカス、どれほど励まされているか

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この庭で最初に咲くのが白や黄色のクロッカス、これは老犬ももこがいた2016年の冬に植えたものだと思う

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日本水仙がひっそりと咲いている

 

プリムラ、パンジーを植える

 昨日より寒く、陽射しはあるがぬくみが感じられない。

 昨日の夕方近く、車で近くのホームセンターに行き、墓参用の花と花壇やプランターに植える花苗を買った。家に帰り、薄暗くなっていたが百合と蘭の花を持って急いでお墓参りに行った。

 今日は昨日買った花苗を植えた。黄色のプリムラ、ピンクの八重咲きのプリムラ、赤い八重咲きのプリムラが各ひとつ。深みのある赤色のぼかしのパンジー、青色のぼかしのパンジーが各ひとつ。

 紅梅の木を植えた小さな花壇に黄色とピンクの八重咲きを植えた。大きな花壇には深みのある赤い色のパンジーを。プランターには赤い八重咲きぼかしのプリムラと青色のぼかしを植えた。

 例年だと、12月末までに植え付けはほぼ終えているが今年は昨年の水害があり、かなり変則的だ。植木鉢に植える花や木の数をだんだん減らそうという気持ちも強くなった。

 春の楽しみのためにささやかな花を植えた。この家を去った父母や二匹の犬たちがどこかで見ているような気がするので、花はそのためでもある。柴犬レオと老犬ももこは今もここで暮らしているような気がするので、いっしょに春の花を楽しみたい気持ちもある。

 

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赤い八重咲きのプリムラと青色の濃淡のパンジーを植えたテラコッタプランター

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左の赤色は前から植えていたもの、ピンク色の八重咲きと黄色の一重を加えた

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深い赤色のパンジー

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梅の老木も春を待っている