命日の一日前の墓参り

 朝は冷え込みが厳しかったが昨日よりは寒さがゆるんだ。花壇に植えた花たちを見ると冷えの度合いがひと目でわかる。氷点下に近いときは葉っぱがぐたっと萎れている。今朝はそれほどではなかった。
 午前中、武蔵小杉の歌会をやめると言った歌友に電話した。本人はまだ迷っているように感じた。こちらが寂しいと言うと向こうも止めてしまうと寂しいと言った。だが歌会を止めようと思った何かあるわけで、それは尊重したいし、このまま続けてもその何かが解消されるかどうかはわからない。わたしは一回歌会から離れてみるのもいいかもしれないと歌友に言った。また再開したくなったらいつでも戻ってくればいいとも。
 これから出かけるという歌友が電話を切り、しばらくたってからこんどは歌会の先生から電話をいただいた。明治神宮献詠歌や青の國若山牧水短歌大会の受賞作を三首書いて先生にお渡ししたのだが、その時期を教えてほしいとのことだ。昨年の10月と12月だったのでそのことを電話で伝えた。
 昨年は短歌を詠んでいてもこれでいいのだろうかという思いがずっとあって辛かった。新らしい年を迎え、その悩みがすべて解消したわけではないが昨年とは違うことにもチャレンジしてみたい。
 昼食後は車に乗って花屋に行き、束売りのストックとトルコキキョウをを一束ずつ買った。その足で駅前のスーパーマーケットに行き、夕食の買い物をした。
 家に帰り、花束を作り近くのお寺に墓参へ。明日は11年前に他界した母の命日。一日前に行ったほうがゆとりが持てる。
 お正月用に供えた花はほとんどそのままにきれいだった。千両の赤い実が鳥たちに啄ばまれてなくなったのを除いて。
 淡い黄色の百合や赤いアルストロメリア、黄色のスプレー菊にピンク色の濃淡のストックとトルコキキョウを合わせると花立の花は華やかになった。
 11年前の今日、まだ母はこの世の人だったのだなと思うと無性に母に会いたくなった。