明治神宮に短歌を1首送り、手紙を一通書いた

 気温は高めだが昨日よりは12月らしくなった。日中いちばんあたたかい時間はエアコンをつけないで過ごした。

 明治神宮に送る月次献詠歌をやっと今日投函できた。最初に葉書に書いた短歌をぼつにして、違う短歌を葉書に書いて投函した。手違いがあって、速達切手をはらずにポストに入れてしまい、しかたなく葉書にまた書いて速達切手を貼り投函した。今日ふつうに送ったのでは締め切りの10日(日曜)までには届かない。土曜の配達がなくなり、都内でも郵便が届くのは2日間かかる。以前は平日に出せばつぎの日に届いたのである。

 葉書を出し終えてほっとして、知人から送られてきた個人誌(ひとりで発行する同人誌にみたいなもの)のお礼の手紙を書いた。届いてからすぐメールで届いたこととお礼を返さなかったので、手紙にしたのである。

 品物が送られたのであればすぐ電話やメールで受け取ったことや感謝の気持ちを伝えるが、雑誌などだと読んでどう感じたかも伝えたほうがいいと思うので、やや煩わしいところがある。みなさんはどうしているのだろう。受け取ってありがとうとすぐメールを送るのだろうか。

 便箋に3枚ほどの手紙を書いて、こちらも投函した。

 午後は庭に出て、落ち葉の掃除をした。駐車場が特にすごい。風の向きのせいだがこんもりと細長い列島のように落葉が吹き寄せられている。これをちり取りですくってゴミ袋に入れた。庭道などそれほどでないところは、箒ではいた。これもけっこうめんどくさい。草にからまって落ち葉をなかなか掃き寄せられない。地面にこすれてからころと鳴る音も最初は風情を感じるがだんだんいらついてくる。(笑)

 落ち葉は庭に掘った穴に放り込むのと、ゴミ袋に放り込むのと、二つに分けた。ゴミ袋のほうは腐葉土を作るために集めている。この庭で腐葉土を作り始めて何年がたっただろう。父がこの家にいるころからぼちぼちとはじめて、だんだんたくさん作るようになった。

 落ち葉掃除は腰をかがめるので、疲労がたまるような気がする。一応、目につくところの落ち葉は掃除して家に入ったが、ぐたっと疲れた。8畳間に布団を敷いてしばらく横になったがほとんど眠っていない。ぼうっと考えていた。

 コロナが感染症の5類に区分され、コロナ禍は終わりを迎えた。振り返ってみると、コロナの感染拡大中にかえっていろいろな人とつながりが持てたように思う。30~40年ぶりに知人が電話をくれて会ったりした。短歌に関しては新しい歌会に参加するようになった(ここは今はやめているが)。この歌会の場で出会った人はもしかしたらコロナがなければ会えなかった人ではないかといまは思う。6年半ぶりに音信不通の友だちから電話があって、会うようになったのもコロナの閉塞状況が大きく影響しているように思う。今までの交友関係が切れたため、昔なつかしい人に連絡する気持ちになったのではないだろうか。

 このつながりはややあだ花的なところがある、うたかたの夢みたいなところがある。コロナ禍の最中に会うようになった人のなかには、今は疎遠になっている人も何人かいる。また復活するかもしれないが、わからない。

 こんなことを横になって考えた。

 

落ち葉掃除の最中、あいさつした近所の奥さんがその方の庭でなった姫柚子を持ってきてくれた