悲しい知らせが届いた

 今年も残り少なくなって、年賀状をどうしようか、そんな思いがよぎる。同年代の友だちと年賀状をいつまで出すのか。やめるときはどうしたらいいのかなど、ときに冗談を交え話したのは最近のことだ。

 わたしはす今年から年賀状を出すのを止めてもいいなとまで考えた。面倒くささが募ってのこどだ。特に年賀状に使う絵を描くのが負担になってきた。

 ところが今日、長年、年賀状をやりとりしてきた、若いときに知り合った知人が他界したと喪中葉書が届いた。お兄さんから送られてきたのである。

 わたしの都合で年賀状を書くのをやめようと考えたが、不意を突かれた感じがした。誰もがいろいろなことを考えるのだが、それらの考えを超えて人の生き死にはあるのだと思った。無常ということ

を感じた。

 年賀状を書くのをあっさりと止められないような気持になったのだが、今までと方向性を変えた絵を描くことにしようかとも考えた。冬から春に咲く花の絵をいつも年賀状に使っていたが、やや自分でもあきてきたので、例えば風景画など違うモチーフにするのもありかなと。

 まだ時間はあるので、やめるか、違う絵にして続けるか、同じ花の絵で続けるか。3つのやり方をどれにするか考えてみよう。

 訃報を知った知人とは若いとき同じ会社で数年ほどいっしょにいた時期がある。そのときから年賀状のやりとりが続いたのだろう。会社を辞めてからも10数年ほどはときどき会う機会があったが、この30年ほどは年賀状のやりとだけだった。

 夕方近く、バスに乗って駅前のいつも行くカフェへ。持って行った歌集を読みながらいろいろなことを考えた。亡くなった知人はわたしより2歳年下である。毎日をせいいっぱい、できるだけ楽しく、自分のこころに嘘をつかず、やれること、やりたいことをしていくという考え方は変わらないが、知人の訃報によって死は身近にあるような、そんな気持ちになった。