昨日は武蔵小杉の歌会、今日は休養

 昨日と今日、おだやかな秋の晴天が続く。暑くもなく、寒くもない、過ごしやすい天気だ。

 昨日は午後から武蔵小杉で歌会が開かれた。わたしは風邪からやっと回復したという状態で歌会に参加した。一昨日と昨日、どちらも熱が出なかったからだ。夜、せき込んでからんだ痰を出すことはあいかわらず続いている。

 10月の歌会(二回ある)ではわたしはみなさんの詠草のプリントを作って送る役目と、司会を務めている。歌会のメンバーの三人がひと月交代で行っている。

 ただ、年を重ねて体力的に衰えてきたのと、自分のやりたいことが増えて時間と労力をこの歌会に使えなくなったことのふたつがあり、段階的に手をかけない方向に変えて来た。

 10月の歌会はその実験みたいな感じで、歌会の司会を一人がやるのではなく、全員でやることを試みている。ひとり、ご高齢の方がいて、耳が遠く、補聴器をつけても離れた人の声が聞こえないと訴えるので、この方だけは司会はしないことにした。

 10月の最初の歌会も、二回目の今回も全員司会でやった。

 今回は6人が出席し、5人で18首の短歌を司会。ひとり3首か4首を割り振った。みなさん不満を言うことなく、なかにはひとりでやるのは大変だからと、と理解を示す人もいる。なかには口に出さないだけで、自分も司会をしなくてはいけないことに不満を持つ人もいるにちがいない。

 だがわたしはそれらを無視することにしている。なにか言って来たら、反論をするだけである。

 こうしてわたしの負担を少しづつ軽くしているが、ついには(私に負担がかかる)歌会などないほうがいい、と思うかもしれない。その時はその時だ、その前に、年齢的なことで歌会をやめることになるかもしれない。今は月に2回の、短歌をだしにしたおしゃべり会として、多少のからだの不調はなんとかしつつ参加している人が多い。短歌をわりと真面目に上手になろうとしている人はわたしをふくめ3人いるが。

 昨日の歌会の後は久しぶりに参加者が4人で、いつもの店に入った。珈琲とケーキ、夕食を注文する人が半々だった。

 それなりに楽しい時間を過ごすことできた。

 仲間のことばで印象に残っているものがある。10月3日の今月最初の歌会のとき、わたしがすごく調子が悪そうに見えたが、今回は元気になってよかったというものだ。

 驚いた、風邪からの病み上がりで元気に見えたのか。では前の歌会のときは何だったのだろう。前日、夜の短歌教室があり、翌日疲れが残ったこと、一日中眠くて仕方がなかったことを覚えているが、人様から見て具合が悪そうに見えているとは思わなかった。

 

 今日、10月18日はのんびり休んだ。熱はもう出ないが、せきと痰はだいぶおさまったものの、まだ出る。昼寝はしなかった。洗濯はしたが部屋の掃除をする気力、体力はまだないようだ。

 季刊の短歌誌「しらぬ火」の最新号(10月発行)を送った、愛知県の知人より手紙が届いた。この方は筆まめなのだろうか。短歌誌を送るとすぐ感想などを綴って、心のこもった手紙を送ってくれる。変にほめるのではなく、率直に、短歌の感想を述べてくれるのがいい。自分でもこの歌はどうかな、物足りないなと思った短歌は知人もそこを指摘してくる。あと一歩、突っ込んだ表現、ことばが必要だったと反省するのである。

 

令和5年10月18日(水曜)の空、この空は今日一日だけのもの

インパチェンス、こぼれ咲の花も咲いている

涼しくなると百日草の花の色に深みがでて、しかも長持ちする

花を咲き継いで背が高くなった百日草、毎日見上げている