昨日はオミクロン気にしつつ、歌会へ

 今日はどんより朝から曇り空、昨日も曇り空だった。

 昨日は午後から武蔵小杉の歌会があり、いつものようにバスと電車を使って行った。

 歌会の参加者は6名、ひとりがご家族の世話が大変でお休みした。

 2階の広い会議室は40人が定員の広い部屋で、その一部を使い、テーブルを3つ合わせて(大きくし)、車座になるようにテーブルや椅子を移動した。

 年齢的にはわたしがいちばん若く(年齢は相対的なものなので、実際は若くないが)、いちばん高齢の方は90歳。80歳代がいちばん多い。 

 マスクをつけての歌会である。ただでさえ耳が遠いのにマスクをしていると聞き取りにくいという悩みはあるが、あまり気にせず成り立っている。

 今月はわたしが詠草のプリント&発送、歌会の司会を務めている。ぜんぶで17首の短歌を2枚のA4の紙にプリントし、歌会は前半と後半にわかれる。

 歌会参加者は17首から良いと思った歌を選んで、歌会の前に司会者に提出する。わたしは皆さんが選んだ歌をそれぞれの歌の上のホワイトスペースに書き記し、これを参考に歌会をすすめていく。

 1首づつ、その歌を選んだ人を中心に4名くらいに歌についての感想、意見を聞いてゆく。ときにはみんなで添削することもある。なるべく作者が使った言葉を生かして添削するようにしている。

 短歌に詠まれている事柄、その詠み方から時には万葉集の短歌に話が飛んだり、体験談、自分の近況などに話が発展、脱線することもあり、それぞれの文学的教養に触れ、生活の一端を感じながら歌会が進められていく。

 昨日の歌会はいろいろな意味で収穫が多いとわたしには感じられた。 

 歌会のあとは4名でいつもの店に行き、一名は夕食を食べ、他は好きなケーキと珈琲のセットを楽しんだ。ここでも短歌の話やら知人にこんなことがあった、とか、なんでもない世間話に興じた。なんでもない話を人とすることこそ、生きている醍醐味のような気がしてきた。いつか自分の寿命が尽きかけていると気づく時、こういう話をした時間を、話をかわした人たちを心底なつかしく思い出すのではないだろうか。

 

春を告ぐクロッカスの芽は小さくて土からにじむ涙のやうに

 

地下からのファンファーレのごと湧き出づる花サフランのむらさき愛し