横浜で高野公彦さんの短歌教室を受講

 冷涼な空気、暑さから解放されて気持ちがくつろぐ。

 午後から横浜駅直結のルミネで開かれる短歌教室を受講した。

 体調その他の理由で、今回で一区切りとする  

 色の名と人名を読み込んだ題詠が高野先生から与えられた宿題だ。

 有名、無名、多彩な人名が短歌に読み込まれて楽しく鑑賞できた。

 わたしの短歌はマリリン・モンローが出てくる。高野さんにモンローの意外な側面を教えていただき驚いた。昭和31年、ジョー・ディマジオと結婚したモンローが新婚旅行で日本を訪れたとき、広島の原爆資料館を訪れた。モンロー、27歳の時だ。

 ディマジオは広島カープの指導のために新婚の妻と広島に来たのだが、なんで原爆資料館に足を運んだのだろう。戦後10年にもなっていない頃だ。

 もうひとつ、高野氏に指摘され、なるほどと思ったことがある。

 人名の漢字について、だ。人名は現在、新しい漢字で表記されている。例えば渋沢栄一の渋沢は澁澤とは書かない。使いやすい漢字を使うように決めたわけだ。だが、わたしの名前には旧漢字を一文字入っていて使っている。

 この矛盾を氏は指摘した。じぶんの名前だけ旧字を使うことを要求して、自分以外の人の名前を簡略化した漢字を使うのはおかしいと。

 確かにそうだなと思った。実は知人や友人に旧字を使っている人がいて、時々めんどくさいと思う。年のせいて目が見えにくくなり、漢字の細かい違いがよくわからなくなったこともある。

 思えばわたしも他人にめんどくさいことを要求しているわけで、辞めようと思った。

 こんな新しい発見、気づきをくださった高野先生。今回で区切りをつけるのは心名残である。