近所の神社の秋祭りに行く

 残暑の厳しい日が続く。

 日中は買い物以外はほとんど家にいて、エアコンがきいた居間で過ごした。植木鉢や庭木の水やりと、めだかのえさやりはやったが。

 9月10日必着の明治神宮献詠歌をあれこれ考えた。「訪ふ」という兼題を詠む。この動詞は現代では日常生活で使うことがないので、難しさを感じた。短歌でよく使われる言葉と、日常の言葉は重なるとことろと違うところがある。できれば日常の言葉を多く使いたいと思う。よく使い、よく見かけることばで詩を作り出すのがわたしが最もいいと思う表現方法だ。ただ、短歌でしか使わない言葉をあえて使う表現にも魅力を感じる。

 「訪ふ」ものを何にするか。または訪ふことのないものを何にするか。擬人法は今回は使わないようにしたい。

 午前中は部屋に掃除機をかけ、合間に短歌のことを考えた。午後は短歌を考えつつ、疲れると昼寝をした。

 夕方、6時過ぎに近所の奥さんが秋祭りの奉納としてマジックショーをやるので、少し早めに神社に行った。社務所に作られた舞台ではフラダンスをやっていた。次がマジックショーだ。フラダンスの合間に焼きそばと生ビールを買った。生ビールは立ち飲みである。椅子はみんな塞がっていた。

 今までのこの祭りに数えきれないほど足を運んだが、今回はどの時よりも人が多かった。そんなに広くない境内は人でぎっしりだ。コロナから解放され、誰もが人が集まる場所に心惹かれるのかもしれない。それにしても人が多い。こどもが多い。全体的に年齢増が若くなった。

 母がまだ元気な時、よくこの祭りに一緒に来たが、あの時はもっと高齢者が多かったし、こんなにたくさんの人が集まることはなかった。昔のお祭りがなつかしくなった。母がいて、ときには柴犬レオも連れて来た。レオは祭りの音が嫌いで興奮していた。今思うと連れて来てかわいそうなことをした。

 マジックショーを見終え、家に帰ろうとすると呼び止められた。わたしの名前を呼んだ。その女性を見ると、柴犬を連れてよく散歩していた方だ。柴犬レオより10歳以上若い柴犬だった。昨年亡くなったという。

 犬の話をして涙が出て来た。柴犬レオのことは涙なしでは語れない。わたしのこころをこんなに鷲づかみにして、去って行ったレオ。

 立ち話をして、またねと別れた。


f:id:leoleoleoya:20230902211452j:image


f:id:leoleoleoya:20230902211522j:image