今夜も近くの神社でお祭り

 朝から晴れたが気温は上がらず、さわやかな風があり、過ごしやすい。夕方4時半、室温は25℃。
 早朝、鷺草やそのほかのいくつかの鉢に水やりをし、目高の餌をやった以外は日中はほぼ家のなかにいた。真夏と打って変わって、鉢の乾き方が遅く水やりが楽になった。真夏は朝夕水やりしても日中乾くことがあった。
 朝は9時から居間でEテレの日曜美術館を見た。横浜トリエンナーレをふたりのナビゲーターが訪れ、それぞれ違った作品に出会い、その印象を語った。この横浜トリエンナーレは3年前に行ったことがあり、欲張って会場を回って疲れたという思い出が残っている。あのときは柴犬レオが死んだ翌年だったがこんどは老犬ももこが死んだ翌年である。トリエンナーレはイタリア語で3を意味し、三年ごとに開催されるのだが3年たつといろいろなことが変わる。三年前はまた犬を家に迎えることになりその犬が2年もたたないうちに死ぬという運命(?)が待ち受けてるとは夢にも思わなかった。
 今年の横浜トリエンナーレにも行くつもりだがこわいところがある。三年後に招かれる扉を開けるような感じがある。この10年間、2〜3年ごとに家族を失ってきた。
 わくわくする未来を持つには年をとり過ぎたのだろう。こわがっても生きている限り時間は必ず過ぎていくのでそのときどきで自分がこうしたいという思いを大切に生きていくしかない。自分のことってよくわかるようでわからないところもある。だがそれだからこそ、自分の心をよく見つめて求めているものを無視したり読み違えないようにしないと。苦しい思いをしたら引き返すこともできる。一度決めたら最後まで、と思わなくてもいい。いつでも始められるし、いつでも止められる。昨日のブログで成し遂げたいことがいくつかあると書いたが、もし成し遂げられなくても自分が悪いわけではない。目標のようなものはあるが達成することより近づく過程こそこれからは大切。いまもその過程にいるわけでこの日々を楽しみたい。
 家のなかにいて神輿が近づく音を聞いたが外に行くことはなかった。生前の母は神輿を先導する人に、いくらかのお金を包んで渡していた。晩年は自分で渡せなくなるとわたしにお金を託した。母が他界した後もその気持ちを継いでこんどはわたしが同じように渡していたがこれも数年前からやめた。こうして地域の祭りになんらかのかたちで気持ちを届ける人たちが少なくなっていくのだろう。とはいっても祭りの奉納金は父の代からの続きでおさめている。
 早めに軽く夕食をすまし、近くの神社のお祭りに行った。今夜はフラダンスやマジックなどの素人演芸とプロの演芸がおこなわれる。無料券の生ビールを飲みながら、焼き鳥を食べつつ、近所の知り合いの奥さんのマジックを楽しんだ。マジックはこどもたちに大人気で、最後に風船で犬やキリン、花などを作ったものをこどもたちに配った。
 舞台で獅子舞も行われ、お囃子の太鼓を姪のこどもがたたいている。太鼓はぜんぶこどもたちがたたいている。次世代につなげそうなのがいい。


 昼寝より目覚めたれば十年(ととせ)過ぎ洗濯ものは乾いていたり

 バスタオル物干よりずり落ちて葉を洩れる光の切れ端がはりつく

 西からの光に黄色のTシャツからだの内からひときわ輝くなり

 昼寝より目覚めたれば桃の葉を照らす光は夕の色なり