昨日は駅前で友だちと会い、今日は横浜で短歌教室

 今日はものすごく暑い。梅雨明けのあとの猛暑に襲われたようだ。昨日の天気予報で、東京は最高気温35℃予想だった。 

 昨日は今日ほどではなかったが暑かった。

 駅前で友だちと会うので、坂道を上って行ったが汗だくになった。友だちとは前日、ラインがあり、会いたいと言われ、最初疲れと今日の短歌教室を理由にことわったが、断りきれなかった。

 友だちは待ち合わせの店に先に来てくれて、いちばんいい席をとってくれた。

 ゆったりと友だちの話を聞くことができた。住んでるマンションの家賃を大幅に上げたいという申し出があったと打ち明けてくれた。その他、金銭がらみの話があったがわたしは相変わらず短歌の話をした。短歌を詠みながら悩み事はいろいろあるが、話せる機会があるのでうれしい。

 

 今日、月曜日は午後から横浜のルミネで高野公彦先生の短歌教室がある。

 プリントした短歌は24首で、4月から6月かまでの期間より4首少なくなった。受講生が4人減ったのである。

 もしかしたら、小池光さんの教室が再開したので、そちらに移ったのかと考えた。

 わたしにとっての今回の教室における収穫は、擬人法について、である。先生にわたしの擬人法的表現を指摘され、あえてこの表現をしなくても意味はとおるし、短歌の良し悪しに影響はないと言われた。

 納得できないところがあったので、教室の最後に、先生に擬人法はあまり使わない方がいい表現なのですかと聞いた。短歌で擬人法を用いていい歌を作るのはきわめて難しいと言われた。俳句だか、渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つていた」を例にあげ、これは擬人法のすぐれた作品と言われた。

 安易に擬人法を使わない方がいいということと解釈した。

 ただ、短歌の表現方法のひとつだと思う。短歌の歴史で、擬人法を避けた時期があったようだ。多分、正岡子規を起点とした写実派の流れをくんだ歌人たちは避けたのではないか。

 もう少し近代から現代にかけての短歌の歴史を勉強したくなった。

 教室を終え、ルミネで買い物をした。ワンピースを一枚買った

 


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