急な雨の中、美容院へ

 明け方、枕元に置いたスマホがけたたましい音をたてた。パッと目が覚め、緊急地震速報とわかり、即起きて玄関へ走った。逃げ道確保のためドアを開けた。東日本大震災以来、この行動パターンが身に付いた。

 揺れは飛び起きて数秒後がいちばん強く、玄関を開けたときはおさまりかけていた。ほとんどすぐ扉を閉め、テレビをつけた。千葉県木更津が震源地のようだ。

 少しだけテレビを見て、また明かりを消して横になったがほとんど眠れなかった。

 明るくなれば地震のことは忘れていき、いつもの一日が始まった。

 友だちからラインがあったが、電話で話した方がわかりやすいと思い、こちらから

電話をするが出ない。手はとラインで返信すると、向こうからもラインがあり、会議中なので終わったら電話をくれるとのこと。ライン通り、9時半ころ電話があり、しばらく話した。まだ話の結論は出ずに、ラインか電話のやりとりを約束して電話を切った。

 庭に出て、2つのプランターに種蒔きをした。長方形のには百日草を、丸いのには千日紅を。百日草と千日紅は、別の日に平形の植え木鉢に種子を蒔くつもりだ。あと、朝顔の種も、数日中に蒔くつもり。

 昼食後、テレビをつけBSプレミアムを見ると、アッバス・キアロスタミ監督の映画『友だちの家はどこ?』を上映していた。イランの映画である。まえに見たことがあり、だいすきな映画なので見ることにした。

 見るたびに気づきのある映画。見るたびに発見のある映画で、映画を見る楽しみをわたしにもたらしてくれる。友だちのノートを間違って家に持ち帰ってしまった少年がノートを返そうと、友だちが住む隣村に行くというシンプルなストーリーだ。

 友だちは前日もノートを従兄弟の癒えに置き忘れ、先生にこんどノートをどこかに置き忘れ、宿題をやってこなかったら退学だとおどされる。それを聞いていた少年はノーとを友だちに届けようと必死になるのだ。その純粋な必死さが、少年の周りのひとたちの傍観者的な無関心さによって際立ってくる。周りの人は自分の生活があるので、少年のひたむきさに付き合えないわけで、村の所々にいる鶏や牛など動物の無関心さ(あたりまえだが)も、演出のひとつと考えるとておもしろい。

 午後は雨の中美容院に行った。美容院にいる間にびっくりするような雷がなった。どこか近くで落ちたやうだ。

 カットを終え、雨の中を街に出て電車に乗り、二子玉川へ行った。

 駅前のデパートでともだちに挙げる日傘を選んだ。予算はあったが、これがいいと選んだものは予算を50%ほどオーバーした。やはりいいものを使ってほしいのでそれを購入した。

 ただ、贈り物の交換はこれで最後にしたいと友だちには告げてある。誰かのために選ぶという煩わしさから解放されたい。自分ては買わないようなものを友だちに贈り物として選び喜んでもらえるのは嬉しいが、続けるのは負担になった。

 いつか気持ちが変わるだろうか。

ニゲラが咲き始めた、わたしの大好きな花、今夜はこの花を見ると心にしみてくる

白いニゲラ、きれい

チドリソウも大好きな花、負けずに美しい

青紫色のカンパニュラ

帰り咲きのプリムラ・ポリアンサ