家にいて、歌集を読んだり短歌をつくったり

 朝、庭を見ると葉っぱに水滴がついていて、地面もどことなく湿っている。雨が降ったのかと思った。それからも時々雨がぱらつく天気だが、弱い日射しが出る時間もあった。はっきりない天気の日曜日である。

 気温が低めで久しぶりにエアコンの暖房を朝からオンにした。

 庭に出る時間もあったが、ほとんどを家の中で過ごした。

 庭では若葉が出た紫陽花の枯れた枝を切った。例年、新芽や若葉を確認してから冬の間に枯れてしまった枝を切ることにしている。その前は枯れているのか生きているのかわからないから。

 山紫陽花や手毬咲の紫陽花は枝数が少なくなり樹勢が衰えているように感じた。数年前からだろうか。いや4~5年前くらいかもしれない。洋室の窓から眺められる紫陽花がだんだん衰えてきて、花数が少なくなり心配している。

 梅の老木の近くに植えてあった紫陽花は、衰えていると思う間もなく、枯れてしまった。枯れる前年は少し花数が少なかったが、それまではたくさんの花を咲かせていたように記憶している。だが人の記憶ほどあいまいなものはなく、どこかで勘違いをしてそのまま記憶していることが多いような気がする。

 なぜそう思うかというと、昔のブログを見ると今記憶している事実とは違うことが書かれていることがあるのだ。話を美化したり、自分の都合のいいように作り変えていたり、そんなことがある。記憶や思い出に対してさえ、時には冷徹な視線を持った方がいい。

 家の中にいる時間は、歌集を読んだり、自分の短歌を作って過ごした。遅くても4月6日には投函したい、明治神宮の月次献詠の兼題は「歩く」である。この題でいくつか考えたがこれがいいと言うのはできていない。

 二月の兼題「日差し」で選ばれた人たちの短歌を掲載したものが送られてきて、選者の沢口芙美さんの講評が印象に残った。472首のどの歌も日差しがある光景を詠っていて、日差しがないという視点、光景の歌がほとんどなかったと書いてある。

 わたしはあえて日差しがあると言う歌を詠ったが、それは明治神宮の短歌はわりと未来志向の予定調和的な結びの歌が好まれるのではないかという読みにもとづくものだ。だが講評を読んで、そういう読みをとりあえず横に置き、自分が好きな歌を詠うようにしようと思った。相手の思惑を読んでそれに応える短歌なんていまさら詠んでいる時間はわたしにはない。残り時間は少ないのだから、好きにやればいいとどこかの神様がおっしゃっているような気がした。

 パソコンに向かい、昔のブログも読んだ。家が床上浸水になり、後片付けで大変な時、近所の友だちがなぜか毎日のように朝早い時間に電話をかけてきた。わたしはそれを後片付けが大変だが手伝いができないのでせめて電話で様子伺いをしてくれたと記憶していたのだ。ところがブログを読むとどうもそれだけではないようで、話を単純化、美化してわたしは記憶していたようだ。友だちは当時、老犬を介護していて、夜中に何回か目を覚ますので友だちも心身の体調を崩していた。さらに夜中に起きるので犬は朝方眠っていて、なかなか目を覚まさない。朝は犬に食餌をやるなどしないと友だちは買い物に出かけることもできず、犬が目覚めるのを待つ時間にわたしに電話をしてきたようだ。

 わたしは後片付けで忙しいが、どちらかと言うと電話につきあっていたという気持ちでブログを書いている。大変なわたしを思いやって電話をしてくれたとその友だちのことをいつのまにか美化していたわたし。なにがそうさせたのか。もちろん、そういう側面もあったことは確かだが、あまり自分に都合よく単純化してものごとを考えるのは良くないと気づいた。

 午後は掘り炬燵のそばで短い仮眠をとった。目が覚めて、スマホを見るとブログに書いている友だちとは別の友だちからショートメールが届いているのに気づいた。

 昔のブログを読むと現在の自分がなぜここに、今こうしているのか、と言う問いの一端がわかるような気がする。別にやめてもいいことだってあるのだが、過去が源となって現在に続いていることの意味をとらえなおすことができる。