友だちと秋葉原で会う

 朝から雨が降り、冬の寒さ。

 午前中はエアコンと掘り炬燵の暖房を入れた居間で、パソコンに向かって短歌を作った。明後日には葉書で送りたい題詠「園」を考えるが、あまりいいものができない。

 午後は秋葉原で友だちと会う約束があるので、軽い昼食を早めに食べ、でかけた。バスに乗って最寄り駅まで行き、電車でJR目黒駅へ、山手線に乗り換え秋葉原駅で降りた。

 友だちから送られた地図を見るが、方向がよくわからず駅前で聞いたらすぐわかった。昭和通りを渡って、角のりそな銀行の横を入り、ありとすぐだった。

 横町の小さな一軒家のカフェである。扉を開け中に入り、靴を脱いで下駄箱に入れてスリッパをはいた。木の急な階段を上った2階のコーナーの席に案内された。すぐには気が付かなかったが猫が二匹いた。布団を敷いた籠に一匹、もう一匹は天井近くに作られた猫用の貼りだした板の上に。その板は天井近くを通路となって続いていて、猫が歩けるようになっている。

それほど広くない2階で閉じ込められた感じがして、妙に胸が重苦しくなった。混んだ電車に乗った時のパニック障害に似た感覚だ。外に出たくなったが、今日会う友だちのその友だちの店なので、店にいて変な気分になったとは言えなかったし、外に出る何かの理由も考えつかなかった。

 友だちが来て話始めたら、気分の悪さはおさまり、落ち着いて席に座ることができた。飲み物を注文した。チョコレートフロートである。最初にアイスクリームを食べ始めたのでチョコレートドリンクが器からこぼれてしまった。そんなことをしているうちに、すっかりこの店になじむことができた。

 3月22日に20年振りに会い、今日で2度目の友だちに、今日送られてきた短歌誌を見せた。その中のわたしの短歌について質問した。「寂しい靴」という表現はどういう意味なの?という質問だ。寂しきわれ、であり、晩秋の樹々の葉が落ちた公園の風景の寂しさも重ね合わせていると答えた。

 この前会った時に聞いたいろいろな話のなかでよくわからなかったことをわたしが聞いたりして、友だちが話した。

 お店のオーナーさんが猫の相手をするのを見たりしながら、友だちの話をどちらかというと聞く側に回った。

 最後のほうに現在わたしがやりたくて始めたことを話した。また、友だちからさっきの短歌の「寂しい」について聞かれた。どのような寂しさなの?あの短歌では晩秋の公園を詠っていて、昔、犬と一緒に来たが今はひとりであることの寂しさを詠った。犬と来たときは、唐楓の黄葉がきらきら輝いてきれいだったが、その黄葉も落ちて枯れてしまった晩秋の寂しさも重ねている。

 6時少し前に店を出て、秋葉原駅近くで友だちと別れた。