昨日は家に来た友だちに柿をあげた

 12月も10日となり、あと3週間で今年が終わる。

 なんか夢を見ているみたいな気持ちになる。早送りで時間が過ぎてゆくような。

 昨日の夕方(6時少し前)、友だちが家に来てくれた。今年一年いろいろとあり、友だちとしてつきあっていっていいのだろうか、そんな気持ちになることがあった。それでも会って話をするのは楽しみでやはり友だちなんだろうと思う。

 1時間くらいの間、さまざまな話をした。相手はわたしがこのまま友だちでいていいのだろうかと思った、その気持ちの動きをどこかで察知しているような気もした。

だがお互いにそんなことはまったくないかのように、話した。

 大阪に出張に行った時のお土産を持ってくるのを忘れたので、こんど(近いうち)持ってくると言った。日帰りの出張だったとのことだ。

 今年はどんな一年だったかと問うと、わりと良かったような口ぶり。仕事もプライベートも。

 わたしは?と問われ、短歌は賞をいただいたこととは関係なく、自分が詠みたい短歌に少し近づけたように思うと答えた。もちろん、じゅうぶんでなく、さらに深めなければいけないが、と。

 そのほかについては良くないことが一つあり、そのことも話した。

 昨日、友だちに話さなかったことだが、人間関係は吉凶混合だった。良いと言えば良く、悪いと言えば悪い。良いと悪いが混じりあい、反転しあうような、こちらの受け止め次第とも言えるような、一年だった。良いは悪くて、悪いは良い、こんな感じか。

 目の前の友だちも吉凶混合のひとつなので言えなかったのである。

 帰りがけに家で収穫した柿と、鎌倉の歌会に行ったとき買ったお土産を手渡した。

 この友だちは今年、椎間板ヘルニアの痛みに苦しんで今は症状が軽減しているが、今でもときどき痛みが出ることがあるそうだ。そのときは腰にコルセットをしたり、痛み止めの薬を使ってしのいでいるそうだ。

 まだ若いのでこの先長い間、腰に不安を抱えるのは大変だなと思った。仕事が好きな人なので,体が思うように動かせないのは辛いだろう。軽い状態が続くように祈っている。

 友だちに年末の忘年会をリクエストしたが、何とか時間を作ってくれそうだ。

 

 今日はほぼ家にいて、何をやったという事なく過ごした。いちばんの成果は、不具合が生じて使えなくなった、スマートフォンとデジカメのマイクロSDカードをコンビニで買ったことだろう。パソコンに読み込みが不能になり、デジカメやスマホで撮った画像をパソコンに移せなかった。スマホからパソコンへメールで送った画像をときどきアップロードするしかなかった。

 前は2ギガの容量だったがこんど16ギガと大幅に増えた。ここまで写真を撮るかというと撮らない気がする。

 コンビニに買い物に行く途中、床屋の奥さんに声をかけられ、この間の柿のお礼と言って、海苔を2帖いただいた。この海苔はすごくおいしくて、いちどいただくとスーパーマーケットで買った海苔など食べられなくなる。今夜はこの海苔とマグロの刺身で鉄火丼にしよう。

 夕暮れになり、最近あまり歩かない方向へ散歩にでかけた。柴犬レオとよく歩いた道である、緩やかな坂道の途中に小さな公園があり、大きな木が一本と木製のベンチがひとつと、水飲み場がある。ベンチは樹と向き合うように置かれている。ベンチに座り、少しづ黄葉をすすめている落葉樹を眺めた。何の木かわからない。葉っぱのかたちは丸みを帯びている。まだ緑色の葉も多い。地面は誰も掃除をしないので、落ちたままの落ち葉がひろがっている。葉が重なっているところと地面が見えているところが、まるで意図したように交じり合っている。風が強い日がなかったことも落葉のひろがり具合に影響しているようだ。風があればどこかに吹き寄せられたり、坂道へと飛ばされていくだろう。

 このベンチもレオがいたとき、散歩の途中の休憩でよく利用した。あれから何年が経ったのだろう。

 

わが家の庭では乙女椿が一つだけ咲いている

花壇はこんなふう、ヒヤシンス、チューリップ、スイセンムスカリの球根をたくさん植えた

植木屋さんが庭木を剪定したので、庭の景色もだいぶ変わった、これは昨日の青空

満天星ツツジが紅葉している