皮膚科の診察、今日が最後に

 7月の初めころ、蕁麻疹を発症し、駅前の病院の皮膚科に通うようになった。

 蕁麻疹と同時並行的に、さまざまな皮膚病になってしまい、そのために一時は5種類の軟膏をからだの部位にあわせて塗っていた。頭用、顔用、首用、体用、手用である。

 蕁麻疹は入浴するとひどくなり、顔に電気クラゲが張り付いたように(実際に張り付いたことはないが)、びりびりしてきて顔が紅くなった。だがこの症状の数週間前から軽くなり、あとは手と首の赤疹だけが残り、手は軟膏を塗って治ったが、首はまだ赤みが残り治っていなかった。

 今日の診察で、首の赤みが治っていないのは医師も確認したが、これ以上、軟膏を塗るのは止めましょうと言われた。赤みが出るだけで痒かったり、湿疹はほとんどないからだ。皮膚から軟膏の影響を取り除く時間が必要と言われた。たしかに医師の言うままに軟膏を塗り続けたが、かなり強い作用のものもあるようで、このまま続けて大丈夫なのかと心のどこかで思っていた。

 完全に治っていないが、軽快になって治療を終えた。

 アレルギー抑制の飲み薬は朝1錠だけ服用していたが、それもやめることになった。

 わたし自身の生活から負担となるものを少しづづ取り除いてきたが、これはこれから先も続けるつもりだ。自分がやりたいことを優先して、それ以外はなるべくさけるようにする。やりたいことは好きなことだが、やり過ぎれば負担にはなるだろう。もちろん、好きなことも上手にコントロールしてやるようにする。自分はやりたくないが、人がわたしにやってもらいたいことはなるべくしないようにする。自分がやりたくて人もわたしにやってもらいたいことは、やる方向で考えるが無理しないようにする。

 わたしがやりたくて、相手がやりたくないことはあきらめる。説得なんてしたくない。人のこころを動かすのは大変だし、タイミングがよければあっけないほど心は動くものだから。

 蕁麻疹にかかったことで、自分に無理をさせないことの大切さを学んだ感じがする。そうは思っても、知らず知らず,周りから負担がかかってくるのだが、少しづつノーと言えるようになってきた。文字通りのノーではないが、身をかわす術と言うか、深入りしない術と言うか。深入りする楽しさもあるだろうが、本当に好きなものだけにとどめよう。

 2年前のブログを読んでいて、武蔵小杉の歌会のことをとても楽しそうに綴っているを知り、歳月を感じた。ああいうときもあったのかという思い。なんでこうなったのかという思い。静かに自分の気持ちを聞いてみよう。

 たぶん、ほかにやりたいことがいくつかできたことが大きい。わたしの時間は一日24時間で決まっていて、やりたいことが増えれば、今までやってきたことを同じようにはできなくなる。何かをあきらめることが必要になる。自分を更新させるわけだ。

 

 三か月あまりの通院から解放されて、こころが軽くなった。駅前の病院からの帰り、遠回りして池のある公園に寄った。