久しぶりの友だちと長電話

 台風の影響で雨が降ったり止んだりの天気がお昼過ぎまで続いた。雨が止むと陽ざしが出るがしばらくすると雲が空を覆い、雨が降り出す。

 外出時に来たブラウスなど手洗いしたものを軒先に干すが雨が降り出し、取り入れ、晴れてまた出し、雨で取入れをなんども繰り返した。だがそれでも9割がた乾いた。不思議なことに。

 今日は予定では11時に友だちが来ることになっていたが急遽仙台への仕事があり、別の日に変わった。午前中の早い時間は晴れ間が出ていた。もう台風は遠く去ったか熱帯的低気圧に変わったかと思っていたが11時近くになると激しい雨が降り出した。(家に来るのが)今日でなくてよかったと思った。仙台なら台風から遠ざかる方向なので問題ないと思えた。

 今日も日中は土曜の外出の疲れが残り、午前中、午後ともときどき横になった。眠ったりもした。起きているときは『現代短歌集成4 社会文化詠』を読んだ。テーマにそった多数の歌人の短歌をまとめたもので、興味のある所を拾い読みした。日本人の名前がテーマの短歌は、さまざまな名前が詠み込まれた短歌があって興味深い。オノマトペを使った短歌というくくりもある。

 3時近くに家電の呼び出し音がなり、子機をとるとわりと久しぶりの友だちからだった。

 元気?と問われ、まあまあだが、と前置きして蕁麻疹にこの夏悩んだことを話した。まだ治っていないことも。友だちが蕁麻疹は皮膚に出てくる病気だが、目に見えるところの病なので、自分で気づけるからいいという誰かの話をした。目に見えないからだの深部の病よりも、と言う意味だと思う。この考え方はわたしもだいぶ前から知っていて、西洋医学と言うより東洋医学の考え方に近いようだ。目に見えるところが病んでいるので、自分で気を付けることができる。心身に無理があったのなら改善しようという気持ちになるし、生活上の負担を見直したり・・・・・・。

 目下、いろいろなところで改善中である。自分がやりたいことに気持ちと体力を集中するようにこころがけ、人がわたしにやってほしいと望むことはなるべくやらないようにする。もしくは厳選してやるようにする。

 友だちとは他に昔話をたくさんした、小学校の頃の話とか、若い頃の恋の話とか。話していて、若い頃つきあった男性の写真を一枚も持っていないことに気づいた。わたしの記憶のなかにしか残っていない。あんなに柴犬レオや老犬ももこの写真をたくさん撮って、いまでも部屋のあちこちに飾っているのに、それに比べ、一枚の写真も持っていないことになんか妙な潔さを感じた。

 いや、一枚だけある。わたしが撮った写真ではないが、知人がわたしにある男性を紹介してくれる時にこの人、と教えるために一枚の写真をくれたのである。その写真だけは残っている。