昨日は武蔵小杉の歌会、今日は友だちが家に来た

 昨日は空の青色をすかす秋の雲がひろがり、おだやかな秋らしい一日だった。

 午後から武蔵小杉の歌会がひらかれた。ひとりはコロナに感染してから短歌を詠う気力が戻らずに休会。6名でおこなわれたがそのうちひとりは1週間前にころんだという事で、病院に寄ってから歌会に来た。歩きにくそうで、足首がはれて靴ははけない状態だ。大きめのサンダルのようものをひっかけている。肘のところに大きなハンドエイドが貼ってある。

 それでも歌会に参加してくれてありがとうと言いたかった。

 わたし自身はなんとなく言葉に棘のある話し方になってしまい、みなさんのこころを毛羽立たせたかもしれない。自分でもわかるので何とかしようとは思うのだが、感情的に無理なのである。

 歌会のあとに、歌会のまとめ役の人が前もって伝えたわたしの要望をみなさんに話した。来年の2月はわたしがみなさんの詠草をプリントし、歌会の司会を務める番なのだが、用事があり、2月いっぱい休みたいという要望だ。まとめ役の人が2月のぜんぶ歌会を中止するか、(別の人が代わって)一回だけやるか、二回やるが短歌を離れてお話をする会にするという3択があると話しをはじめたら、すかさず休めばいいじゃないと言う人がいて、それにしようと話が決まった。会場を確保する役目はわたしなのだが2月はそれもやらなくてもよくなり、すごく解放された気持ちになった。

 この歌会はあるときまで楽しく充実して参加していたのだが、あるときから違和感が芽生えてきた。苛立ちも生じた。自分でも何が原因かわからない。冷静になれば行くかの原因は思い当たるが、自分の気持ちとしっかり向き合うのを避けているところがある。自分がほんとうはなにをしたのか、なにをしたくないのか。誤ることなく自分の本当のところを探りたい。

 

 今日は雲が多く雨模様の天気だが、暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい一日。

 午前中早めの時間に友だちが来た。友だちは会社を9月いっぱいで退社し、新しく立ち上げた会社で活動する予定だったが、有給休暇をほとんどとっていなくて、それを消化するまで(今月いっぱい)はまだ前の会社に所属し、休暇中の身とのことだ。

 もとの会社には出勤する必要はなく(有給休暇中なので)、実質的には新しい会社の活動をしているとのことだ。

 わりと時間的によゆうがあるのだろうか。来週、食事をともにする約束をして別れた。

 夕方、二子玉川のいつも行くカフェに入ると、驚いたことに、数週間前その方の講義を聞いたその歌人の方が座っていた。こんな偶然はめったにあることではないと思い、その隣の席が空いていたのでそこに座った。もちろん、相手を見ることも全くしないで、いつもと同じように過ごした。カフェで一人の時間を楽しんでいるわけで、その時間を乱したくなかった。

 

昨日(11日)、武蔵小杉の歌会の帰りに見た夕焼け

遠くに富士山が見える