昨日は老犬ももこの命日

 昨日、8月26日は六年前に死んだ老犬ももこの命日。

 実はすっかり忘れていた。だが昨日の朝、玄関の扉をあけると傘立てに紙袋が置いてあった。紙袋は近所の犬友だちからのもので、なかにはももこの命日だから、と犬用のおやつが二袋と、わたしには三宅島ののり(三宅島で教師をしている娘さんが持ってきたもの)などが入っていた。

 これを見て、そうか、今日(8月26日)はももこが死んだ日だったと思い出したのである。

 さっそく友だちに電話をしてお礼を言った後、庭に出てももこに手向ける百日草やミソハギなどを切った。切り花は水切りをしてしばらく置いた。

 ももこのことを忘れるなんて!あれから6年の歳月が流れた。

 言い訳をするわけではないが、ももこはいつもわたしのそばにいて、心のなかでいつも話しかけて、いろいろ相談に乗ってもらっているので死んだという意識が薄れているように思える。友だちには相談できないようなことも、ももこには言えるし、ももこはずばりと答えてくれる。そういう間柄なのだ。

 だがこれはわたしのこころの中の出来事で、じっさいはももこは死んでしまった。1年と五か月余り、この家で寝起きをともにした、愛しいももこ。ももことの生活の細かいところまで思い出せる。思い出せばももこはほんとうにそばにいるみたいだ。

 そういえば、ずっと’(3年以上)ももこの夢を見なかったのに、8月になって夢を見た。夢のなかでももこはわたしが横たわっている布団の上に座っていた。わたしはももことそれほど違わない高さの目線で見ながら(横になっているので)、「ももことは長い間いっしょにいるね」と話しかけた。布団から起きて台所に行くと、ももこがすくっとわたしのそばに来てくれた。

 夢から醒めて、なんでももことは長い間いっしょにいるねと言ったのだろう。夢のなかにしろ。あんなに短い時間だったのに、と思った。だが心のなかにずっといるから、長い間いっしょにいるのは本当だなと思いかえした。

 

 今日は朝なかなか起きられなかった。妙に疲れる夢を見て、実際疲れてしまったようだ。何かをしようと思うと、必ず邪魔が入る夢。邪魔をするのはみんな知っている人たちで、妙にリアルだ。

 9時少し前に起きたが、起きると夢のことなど忘れて元気になった。外出の支度をして、バスで二子玉川に行った。ライズにある、いつものカフェに入り、ブレンドコーヒーを飲み、なにをしようか考えた。いちばんの目的は夕食の買い物だが、ここまで来て買い物だけで帰るのはつまらない。

 珈琲を飲み終え、別のカフェに移動した。ここは本屋とカフェがいっしょになっていて、ソファなどに座って本を読みながら飲み物を楽しめる。空いている席を見つけ、まず読みたい本を本棚から持ってきてテーブルに置き、ドーナッツとアイスコーヒーを持ってきた。選んだ本は、大森静佳さんの歌集『ヘクタール』で、先月位に発行された最新歌集である。5分の4くらい読んだところで、時間がきた。最後まで読み切りたいし、2~3回くらいは読んでみたい本だ。

 一番の目的である買い物をするためカフェを出た。

 買い物を最後にしたのは、お米を買うので重たくなるから。他はそんなに重たいものはないのだが、2キログラムのコメがずっしり思い。買い物を終えてすぐバス停に行き、家に帰った。

 

こんな感じに庭の花と、友だちからの犬のおやつをお供えした