昔のブログを読んで

 なんとなく気持ちが昔のブログに向かって、読み始めた。

 2019年秋の水害のあと、2020年1月コロナウィルスの感染が始まったあとあたりに、大きな転機があったような気がする。

 今思うと運命は水害のあたりから動き出した。2019年末に初めての人身事故を起こし(被害者の方はごく軽症ですみ、物損事故扱いになった)、2020年1月の豪華クルーズ船から日本はコロナ禍へと突入した。

 2020年5月は個人的な転機が訪れた。その時は転機などと思わなかった。ただ、ちょっとしたことがあっただけである。だが時間が経過した今から考えるとそうだったように思う。

 水害やコロナ禍、そして個人的な転機の前のブログを読むと、とてものどかな日常に思える。老犬ももこが死んだ後のわたしの悲しみでさえ、ある懐かしさが感じられる。庭の樹々のこと、花壇に季節の移ろいを見せる花たちのこと・・・・・すべて昔のブログのほうが良かったような気がする。

 もし幸せの量を計る升があるなら、水害前、コロナ前、個人的な転機の前のほうが升に多くの幸せが盛られるだろう。

 だが失ったものが良く見えるという事なのかもしれない。元に戻れないから元に戻れれないときが良く見えるのかもしれない。

 何を失って、その代わりに何かを得たのだろうか。ただ、失っただけなのだろうか。