午前中は友だちと長電話、午後はいつものカフェへ

 新しい一年が始まったがやっていることは旧年と同じようなことである。令和4年は何か新しいことをひとつでもふたつでもしたいと思うが、いまのところそのような気配はない。

 今朝も7時過ぎに遅めの起床。遅めの朝食をとった後、洗濯物を洗濯機にかけてから友だちに電話をした。前もってメールで三が日に電話で話そうと決めていた。

 友だちはわたしの電話をとったあと、かけ直してくれた。電話代がわたしの負担になることを気遣ってのことだ。だいたい、交互に電話をかけあう感じである。

 テレビでは箱根駅伝を放映していて、音を消してつけたままにしていた。初詣の話から地元の神社の話に移り、」箱根駅伝の話となった。盛り上がった会話のひとつが二人して見ているフランスのテレビドラ「バルタザール」の話。シーズン2が終わり、次はいかなる展開になるのか。シーズン2の思いがけない展開をふたりで話した。友だちはDVDに録画しているので、細かいところをよく見ている。話の展開が早く、一回だけだとよくわからないところがあるが

友だちは見逃しがちなところを見ていて、登場人物を深く読み込んでいる。

 もう一つ盛り上がったのは、男女の違いについての話、わたしたちが若い頃より男性と女性で仕事に対しての差別が少なくなったように思うが、所得差は歴然としてある。結婚しても子供を産むと、男女平等ではなく、女性のほうにだんぜん負担が重くなる。だが共働きでないと家計が成り立ちにくい、現在の社会状況がある。

 わたしたちには直接的には関係のない話であるが(どちらも子供を持っていない)、関心はある話だ。

 2時間あまり話して電話を切り、昼食の支度をした。二日続けてお雑煮である。昨日の残りに鶏肉と小松菜を加えた。お雑煮のお餅は一つ、もう一つは黄粉餅にして食べた。

 昼食後眠くなったが我慢して、永井陽子さんの全歌集を読んだ。永井陽子さんの三番目の歌集『樟のうた』である。ここに収録されている短歌、「竹刀」の全7首は、同人誌「詩線」に掲載の作品群(G線上に眠れ)にも、結社誌「短歌人」で短歌人賞を受賞した作品群にも、すべて同じではないが見られるので、歌人にとって重要な歌ではないかと考えている。このへんについて何か書きたいと思うのである。

 最近の運動不足が気になり、散歩に出ることにした。歩いていつもはバスで行く駅前のカフェまで行った。途中、等々力不動でお参りをしたかったが参拝客が長い列をつくっているのでパスした。三が日は混みあうが本門の外まで参拝客が並んでいるのは初めてだ。コロナ下でのお正月、近場で初詣をすまそうという人が増えたのだろうか。それとも、昨年は初詣を控えたので今年こそ、とこぞって出かけたのか。人の心の変化が形となって表れているのがおもしろいような、こわいような。

 駅前のカフェは混みあってはいたがなんとか席がひとつあり、歩いてからだが火照っていたので、冷たいタピオカ抹茶ミルクを注文した。持っていった季刊の短歌誌「しらぬ火」を読み、自分の短歌をキープメモに記したりした。

 帰りは別の最寄り駅まで電車で移動した、そこから歩いた。

 

タピオカのつぶつぶ太きストローで吸ひこむわたし新年始まる

 

水切りの石にはなれぬわがこころ岸辺の君へ届きたきかも

 

人は船 街のあちこち港とし航行せしのち終の港へ