永田陽子さんの若い頃の歌を探して

 今日も雨がときおり降ったが、昨日よりは雨の時間が短い。

 涼しいのは昨日と同じで過ごしやすい。

 昨日、国会図書館に足を運んだが資料のコピーをとることができなかった。そのため、今日も行こうと思っていたがなんとなく止めたい気分がもあった。

 どっちつかずで午前中は『吉行淳之介文学全集』に収録された「私の文学放浪」と「湿った空乾いた空」を読んだ。最初から最後まで通しで読んだわけではない。拾い読みである。ちゃんと読み通すつもりだが、その前にどんなことが書いてあるだろうと好奇心にせかされて読んだ。

 午後になり、居間の隣の部屋で横になっているとスマートフォンが鳴った。この電話がきっかけとなって、出かける気持ちになった。急いで準備して、バスに乗って二子玉川に行き、そこから半蔵門線直通の電車に乗り、永田町で降りた。半蔵門線を降りたところから国会議事堂方面の改札口までけっこう歩き、改札を出て5分ほどで国会図書館である。

 今日は手際よく雑誌二冊と書籍一冊の閲覧を申し込み、複写の窓口でコピーの申し込みをするなど手際よく進めたが、それでもコピーを受け取るまで1時間40分ほどかかった。資料の閲覧を申し込んで受け取るまで15~20分ほど、コピーを申し込んで受け取るまで30分ほどと待つ時間が長い。さらに広いので移動する時間もかかる。書籍と雑誌では受け取るカウンターが違い、かなり離れている。

 待つ時間に歌人の永田陽子さんが18歳のときから入会した結社誌「短歌人」をデータで検索して読んだ。1969年、短歌人に入会したその年の「短歌人」を見た。若い頃、永田さんがどのような歌を詠んでいたかは『永田陽子全歌集』に収録の『葦牙』(あしび)を読めばわかるが、それでも雑誌にはじめて発表したその足跡を探したかった。

 

『短歌人』1969年10月号

永井陽子

早々と老いたる母がつる蚊帳の古びたにおいふるさとの夜

五月雨がしみ込む補修の教室に蛍光灯の影にぶくあり

植え付けの歌がとだえた水田にくどける夕日を蛙が食べている

受験ということばがまねく執念は濃く深々と我をとりまく

苦しみに背を向ける日 喉の奥でカンナの赤が燃えている

かすかな対話の記憶に頬うずめ君慕う朝ざくろのはじける音

 

7時までに家に帰りたかったので、コピーを受け取り国会図書館を後にした。行きと同じ経路で帰った。二子玉川の複合商業施設ライズの地下一階の食料品売り場で夕食の散らし寿司を買い、朝食の胡桃パンを買ってバスに乗った。

 家にたどり着き、夕食を食べながらオンラインセミナーを聞き、その途中、友だちからラインの電話が入った。夕食はほぼ終わっていたのでセミナーは中断し電話で話をした。さきほどわたしが送ったラインの返事だったのだが、電話をくれたので他にもいろいろ話ができた。