季刊の短歌誌に送る詠草を考える

  7月も最後の週を迎えようとしている。時間が過ぎるのが早く感じられる。

  2021年が始まろうとしていた1月がつい最近のことのように思うのに、もう7月である。この調子だと12月になるのも早そうでこわい。

 7月末が締め切りの季刊の短歌誌に送る短歌10首ものんびりしていられない。のんびりしている自分を叱咤するように、朝からパソコンに向かいあれこれ考えた。

 たたき台の10首はワードで入力してあるので、これをベースに差し替える作業なのだがこれがけっこう大変。ときにはベースがほとんど形を成さないほど変わることもある。だがこれも想定の範囲で、ベースとはわたしにとって想像力を刺激するなにものかでしかない。

 自分の短歌を10首送るのとは別に、前号の皆さんの短歌からいいと思った歌を10首選ぶように依頼されている。この10首もかなり念入りに読み込んで選んであるが、時を置いて読み直すと違う短歌がよく思えてくる。で3~4首ほど差し替えた。

 昼食後、家にいる日は習慣と化している昼寝をした。できれば昼寝はよほど睡眠不足の日だけにしたいのだが、習慣になってきたので欠かせなくなった。

 昼寝から醒めて、洗濯物を取り込んだり、その他の家事をしてからまた駅前のカフェにでかけた。家にいる時よりカフェにいる時のほうが

集中して本を読んだり、短歌を詠めることがある。

 今日はそういう日だったみたいで、持っていった梅内美華子の歌集『夏羽』を読みながら、その中の短歌のことばに刺激されてたくさん自分の短歌を詠むことができた。その短歌がいい歌なのかどうかは別だが、次々と歌が詠める楽しさを味わえる。

 

透明の仕切りのなかはそれぞれの思索の宇宙 かすかな音楽

 

返信をせぬことあやまるライン来たワクチン接種で高熱出して

 

小さき手持つ母握るおむすびはやはり小さしいとなつかしき